坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 11月 10, 2008

比較するな、比較させるための行動もするな

Ⅰコリント26-31
さて,兄弟たち.私は,私たちの主イエス · キリストの御名によって,あなたがたにお願いします.どうか,みなが一致して,仲間割れすることなく, 同じ 心, 同じ 判斷を 完全に 保ってください.それは,あなたがたが私の名によってバプテスマ を 受けたと 言われないようにするためでした. 私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが,そのほかはだれにも授けた覺えはありません. キリストが私をお遣わしになったのは,バプテスマを授けさせるためではなく,音を宣べ傳えさせるためです.それも,キリストの十字架がむなしくならないために,ことばの知惠によってはならないのです.
●同じ心、同じ判断を 完全にもつとは、非常に高い水準のことを要求されています。使徒パウロはそのために、彼が分裂しないように『バプテスマ』をわざわざ他の人に授けたと比較や競争させないためにしなかったのです。そして、使徒パウロは自分のすべきことに集中していました。それは福音を伝えることでした。あるクリスチャンの人がとある教会の中で分裂があることを見ながらも、分裂や牧師を批判する人は何故いるのか?という話をした時に、こういう話をしました。『暇な人なんですね』これが、嫌な皮肉をいっているというよりは、事実でないかと思ったことがありました。
わたしの生きる人生はすべきことだらけです。すべきことでも、忙しいのに教会の批判をして時間を使うよりも、とりなしの祈りをするべき時間だけでも足りないのでないでしょうか。
わたしたちは福音を伝えることに集中と、価値観と比重を置く人生を生きるべきでないでしょうか。