坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 11月 12, 2007

神様の前に実の結ぶ人生を

魂のあがないしろは高価であり、永久にあきらめなくてはいけない。 彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、
自分たちの土地に、自分たちの名をつける(詩篇49:8,11)
自分の魂は、永遠に買うことのできない水準のものであり、人はとこしえまで生きることのできないことを覚えるとき、主イエス・キリストの十字架の前に降伏し、感激の涙と感謝の人生を生きる以外になくなることを覚えます。また、カトリックの免罪符であるとか、救いはお金でも行いでもない、 ということがはっきりとわかります。
こうして、与えれた人生に感謝して、大事に生きないといけません。
神様に会った使命ある人生を生きる喜びがあります。でも、多くの人はどうでしょうか。
自分が永遠に生きれなくても、代々への土地を引き継ぐとは、神様の使命ある人生と
違う方向に来ます。家を買ったり、車を買ったり、それは絶対に必要なことであり、
悪いことでありません。喜ばしいことです。でも、それが自分たちの土地に自分の名前をつけるような、地上にしか価値を置かない人生ならさびしいことです。
わたしは、天国の名前の刻まれていることを喜ぶ人生を送りたい、と思います。
それは、神様の愛されている人々のために生きることです。
今日、与えられた留学生との交わり、伝道を祈って仕えます。