坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 11月 05, 2007

永遠の命をちょっとした適用から

彼らは自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただ、あなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。(詩篇44:3)
今朝の恵まれたことは、私が礼拝の司会のたびに、告白する聖書箇所から「神様の右の手」ということでした。私の人生は、神様が備えてくださったものであり、今の生活も、奉仕も、人々も、神様の下さったものです。自分にとって、将来や現在の問題悩む時間がソウルにてありました。神学校の同期生を見ると、それぞれの人生を歩んでいます。意味の無い比較から来る落胆、実際に起こる問題への不安に、もう一度、神様の右の手がされたことを思い出しました。
それは、私を愛されている神様によるのです。今の生活や将来を神様にゆだねる決心をしました。
神様の愛なしには、私は生きていくことが出来ないのです。逆に、それがあるのなら生きていけるのです。神様の愛を持って、また永遠の命を生きようと思いました。
具体的に何が出来るのか、黙想したときに
すれちがった副牧師の挨拶の笑顔が本当に素晴らしいことを感じました。
神様に愛されているものとして笑顔を持って生きます。それは、神様に愛されていることからくるものです。永遠の命であるイエスと共に生きているからです。