クリスチャンってどんな人か?

どうか, あわれみと 平安と 愛が, あなたがたの 上に, ますます 豊かにされますように.
愛する 人¿. 私はあなたがたに, 私たちがともに 受けている 救いについて 手紙を 書こうとして, あらゆる 努力をしていましたが, 聖徒にひとたび 傳えられた 信仰のために 戰うよう, あなたがたに 勸める 手紙を 書く 必要が 生じました.(ユダの手紙1:1-3)
とうとう、ヨシュア記が終わりましたね。ユダの手紙はどうですか。うわー楽とかやりやすいという雰囲気かもしれません。私はすごく終わってしまって残念なんですけど。さて、ユダの手紙のあいさつの部分から多くの恵みを受けました。それは、クリスチャンってどういう人か、ということです。
①父なる神に愛されている人
②イエス・キリストに守られている人
③イエス・キリストに召されている人(使命のある人)
④お互いに愛する人告白し会える人がクリスチャン
⑤すでに注がれている恵みにさらに相手のために恵みを求める人がクリスチャン
⑥救いについての教理を自分ひとりでなく、お互いに分かち合う
⑦相手が間違った方向に行くなら正すのがクリスチャン
⑧それは、愛を持ってつかえること
⑨信仰のために戦うことがクリスチャン
⑩信仰のための戦いをするのに、他の人を教え、仕えるのがクリスチャン
信仰のために戦うことはあまり語られないかも知れないし、あまり聞くのも好きでないかもしれません。しかし、初代教会から異端への闘争、そして神様に従順するゆえに愛の戦いをするのがクリスチャンです。神様の教えに従うなら、この世の罪とは必ずぶつかります。田舎や地方では人の目があるかもしれないし、人間関係も深いでしょうし、長く続いた人間関係からいきなりクリスチャンになって違う人生や価値観をもって生きること、教会に日曜日通うことは大きな変化かもしれません。その分大きな迫害や困難は地方にあると思います。逆に、都会では隣の人のすることにそんなに気を使わないかもしれないし、神様の教えに従うかどうかは誰も見ていないかも知れないし、誰も干渉しないかもしれません。しかし、神様は見ておられます。そして、祝福されたいと思っておられます。都会では自己申告を神様にしないといけません。それは、逆に人の目に負担を感じない分大きな責任であるかもしれません。クリスチャンはどういう人であるのか、その祝福をゲットする一日でありたいと思います。
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