坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 6月 21, 2007

目的ある人生を生きてる喜び

あなたがたは 自分の 罪過と 罪との 中に 死んでいた 者であって, そのころは, それらの 罪の 中にあってこの 世の 流れに 從い, 空中の 權威を 持つ 支配者として 今も 不從順の 子らの 中に ¿いている に 從って, 步んでいました.
私たちもみな, かつては 不從順の 子らの 中にあって, 自分の 肉の 欲の 中に 生き, 肉と 心の 望むままを 行ない, ほかの 人たちと 同じように, 生まれながら 御怒りを 受けるべき 子らでした. しかし, あわれみ 豊かな 神は, 私たちを 愛してくださったその 大きな 愛のゆえに,
罪過の 中に 死んでいたこの 私たちを キリスト とともに 生かし, ··あなたがたが 救われたのは, ただ 惠みによるのです.(エペソ2;1-4)


日曜日の朝には、QTの分かち合いと学びをスターバックスでしています。ここでの大きな恵みは神様の声を聞く、神様との交わりを強くもてなかった人々が、このQTを通して変えられていくということです。ちなみに、スターバックスでしているのは教会に借りれる場所が無いからです。あまりに人々と行事が多すぎて、QTの交わりを持つ場所がスタバになりました。
神様とコーヒータイムという感じです。
さて、この日のQT分かち合いはクリスチャンになる前の自分の姿を見せられ、しかし今はこのように変えられたという恵みでした。クリスチャンになる以前の自分は、自分のしたいことをしてるように勘違いしていて、実は罪に縛られている人生でした。本当に不自由な、自分でコントロールできない人生を生きていました。それは、目的の無い根無し草のような人生でした。そして、自分の所在がどこにあるのか、分らない人生でした。
今改めて、こうしてソウルの地で「神様にある目的をもって生きれる人生」それは、どんなに素晴らしいことか思いました。思うだけで、涙があふれてきます。本当に自分らしく生きれる人生、喜びあふれる人生を、恵みによって与えてくださり、行いで無く、人の目に縛られず、人の評価でなく生きるようにしてくださった主イエスを賛美します。