ヨルダン川に足をいれよ
「民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。箱をかつぐ者が、ヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水際に浸ったとき」
(ヨシュア3:14-15)
先週は、弟子訓練指導者たちのためのワークショップに行って来ました。そのために、QTのアップデートが遅くなりましたが、ともに恵みを分かち合いたいと思います。
ヨシュアは、リーダーとして民たちにしたことは、神様の声を聞かせることでした。
自分の声でなく、神様の声を聞かせるところに霊的なリーダーシップの原因があります。そこに、民たちは何をすべきか知ることができました。
①神様の約束である地に入るためにカナン人に戦って勝つことを信じさせます。
②ヨシュアの下の部族ごとのリーダーを選んで、部族ごとを導くことをさせた
③そして、戦闘員でなく祭司たちを先頭にした
神様の霊的な声が約束が、先頭に導くことをしめしました(第二歴代誌20章にもヨシャパテ王の時も、賛美チームを先頭にすることがあります)。
そして、エリコへ行くことに、ヨルダン川を渡る時に、ヨルダン川を止める奇跡をされたのですが、それは、祭司たちがヨルダン川に足を踏み入れたときに起こりました。
祭司たちが、ヨルダン川に近づいた時に奇跡が起こるのではなく、ヨルダン川に足を踏み入れるまで、奇跡は起こりませんでした。それは、信仰を持っての一歩を意味します。
ヨルダン川に足を踏み入れ、足が濡れるまでは奇跡は起こらなかったのです。
適用:奇跡は、神様のわざは、信仰を持って一歩を踏み出し、足が濡れない限り起こりません。祈るだけで何もしないなら、何も起こりません。犠牲が必要です。というよりも、足が濡れることとヨルダン川の流れが止まることのどちらが大きいことでしょうか。神様のなされることを期待して、一歩を踏み出します。
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