キリストによって神様の前にある人
「あなたがたがエジプトで出てこられたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと~」「~あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです」
(ヨシュア2:10-11)
今朝のQTの恵みは、遊女ラハブの信仰でした。彼女は、斥候してきた2人をかくまいます。その理由は、上の聖書の御言葉の通りです。彼女の信仰は、
①エジプトのパロも分からなかった、分かろうとしなかった信仰を持っています
②40年前のことも知って信じている
③神様の前に誰も勝てぬことを知っていた。
④そして、この状況にどうすればいいのか(神様の側につく)救われるのか
エジプトの王よりもエリコの王や町の人々よりも知っていた。
ここから与えられた恵みは、
この人は救われなさそう、まさかこの人が神様の名前を呼ぶと思えない人が
救われるということです。しかも、正確に神様のことを知っている、ことでした。
ラハブは、私がどんなに汚れた罪人であっても、神様の誠実な人格や約束にすがってでていく
という祝福を受ける姿がありました。恵みの場所に敏感でした。逃さなかったのです。
適用
自分は、この人に奉仕するのは難しいとか、救われないとか考える人を人間的に区別していないかと思いました。具体的に難しい人を覚え仕えることにしました。
また、自分もラハブのように恵みの座に敏感に出て行きます。私がどんなに汚れていても神様の約束にすがっていきます。
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