坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 4月 10, 2007

神様のビジョンの後継者


神の約束は人が変わっても必ずなる
「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセと共にいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヨシュア1:5)
「強くあれ、雄雄しくあれ、わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ」(ヨシュア1:6)
今日からヨシュア記のQTですね。何か、受難週から復活節を経て、ついにヨルダン川を越える喜びが来そうですね。
今朝のヨシュアは、モーセからのリーダーシップの後継することを「神様からの声」によって引き継ぎます。それは、偉大なリーダーであり、この地の誰にも勝って謙遜な人であったモーセが死んでも、神様の約束は変わらず、不可能なことになることが無いことを示すことです。
ヨシュアの心情はどうだったでしょうか。偉大なモーセのリーダーシップ、信仰、謙遜なすがた、そのすべてに大きな限界を感じたことかもしれません。実際にモーセの大きさは計り知れません。しかし、その偉大な人よりも神様が素晴らしい方であり、モーセを大きくしたのは神様の訓練です。ヨシュアはそのモーセのそばで仕えました。その偉大な人のモーセでもできなかったカナンの地への征服。しかし、人がどうのこうのでなく、神様の計画と約束は必ずなるのものです。また、モーセを用いた神様に同じようにヨシュアを用いるのです。
その神様の召しは
① あなたと共にいる
② 強くあれ、雄雄しくあれ
③ 律法を右にも左にもそれず行え
でした。それは、神様の約束を必ずなされるからでした。神様の人は、神様のリーダーシップは、神様と共に生きることから来ます。神様の声を聞く、神様の心を持つことから、その影響力は来ます。人の力からくるものでありません。人の経験不足がそれを壊すものでありません。
人の比較がするものでもありません。神様は、人を造られた方です。その方が自由に人を用いられないことがあるでしょうか。神様の計画のために、約束の成就のために、その人生をヨシュアはささげたのです。神様が共にいること、強くあれ、律法を守ることにより。
神様は三度も繰り返し、語られました。どれほど、大きな励ましだったでしょう。

私にとって、非常に大きな励ましの御言葉でした。神様の約束を再確認するものでした。
強く、雄雄しく、神様のビジョンを後継するものとして生きます。