坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 3月 09, 2007

忠実なしもべとは


「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう」(マタイの福音書25章21,23節)

こんにちは。私たちを忠実なしもべと呼んでくださる主イエスを賛美します。
ずいぶん久しぶりのQTプログです。言い訳すると、忙しかったり、自分のミニストリーが
机の上に座ってのミニストリーでなかったので、QTをしながらも、ここまでプログの書き込みをできなかったのですが、最近、QTセミナーをサラン教会で受け、自分のミニストリーでもQTをすることが多くなり、やはりQTの恵みの分かち合いの必要を感じて、再開することにしました。
よろしくお願いします。

今朝は、神様に預けられたタラントをどのように用いるのか、という聖書箇所でした。
ここ最近の終末の時にイエスが再臨されて、この預けたタラントを精算するという箇所は
負担の感じる箇所でした。自分は、神様に預けられたタラントを用いてよい働きをしているのか、
ということは、自己コンプレックスを感じさせるような思いでした。
しかし、このタラントはわずかな額ではなく、非常に大きな財産です。
わずかな物に忠実だった、といわれる額でありません。

逆に、タラントを恐れて土に埋めていた役に立たぬしもべはどうだったでしょうか。
「~集めることを知っていたというのか」(26節)と言われました。
ここで思ったのは、何よりも役に立つしもべと、そうでないしもべの差は
神様の心を知っている人か、神様の愛を知っている人か、神様と親しい関係を持っているのか、
ということだと思いました。
主イエスが私に巨大な期待をしてくださっている。さまよう人生を送っていた私に確かな人生の目標を
与えてくださった方に感謝と喜びをささげます。

主イエスの愛と人生の目標を、今日私の会う人(留学生たち)に伝えます。