坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 10月 12, 2006

絶望の中で失ってはいけないもの


絶望の中で失ってはいけないもの

「主があなたを救われないのなら、どのようにして、私があなたを救うことができようか」
「なんと、王は服の下に荒布を着ていた」
「きょう、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように」
(列王記第二6:27、30、31)

今日のQTの内容は、絶望的な状況の北イスラエル王国の首都であるサマリヤ(戦争、飢饉)に、未だに答えが無い状況で、終わります。
今日の危機的状況に、王様は信仰や王としての態度に矛盾した態度を見せます。神の救いを言いながらも、服の下は荒布であり、エリシャを逆恨みする始末です。神様に求める姿勢もありません。今日、黙想されたことは、絶望的な状況の中でしてはいけないことです。
① 絶望的な状況で、投げやりな心にならない
② その投げやりな心の結果は、自分の大切な家族や人間関係を捨て、壊した
(28-30節)これは、こういう人を食べるや、人をだますと言うことでなくても、
   別の形でしがちでないでしょうか。
③ 価値の無いものと価値のあるものを区別がつかなくなる
④ それを引き換えにするな、捨てるな。
⑤ 誤った人に巻き込まれないこと(エリシャは、自分の国のリーダーである王に殺害されそうだったのです)
⑥ 人を傷つけるな
⑦ 逆恨みや、誰かのせいにするな
逆に、
神様のところにもっていくこと。信仰の目を持って希望へと、前へと進め。私の人生を、計画をビジョンを持って歩むの必要なのは、ビジョンを見ながら進む忍耐です。忍耐は、いやいや我慢するのでなく、神様のビジョンを持って進む信仰によるのです。
私にとって、ビジョンを成す忍耐を持って今日を歩みます。自分にっても分からない難しいことがあります。しかし、今朝の御言葉を持って歩みます。

今日の働きは、自分でも思いもかけない恵みと導きがありました。しかし、全てが解決されたのでありません。続いて、神様の忍耐を持って歩みます。