坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 10月 12, 2006

しもべの最大の疑問と失敗


エリシャのしもべの最大の
「その時、神の人エリシャに仕える若い者ゲハジはこう考えた。なんとしたことか。私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来た物を受け取ろうとしなかった。主は生きておられる。私は彼の後を追いかけて行き、必ず何かもらってこよう」
(列王記第二5:20)

話は前後しますが、10月10日に韓国長老教団、合同派、東ソウル老会にて牧師按手を受けました。思えば、神学生活から伝道師、講道師、と来て神様の憐れみの中で、ここまで来させていただきました。限りなく不足な私を愛して下さり、導いてくださった主イエスに感謝と賛美をささげます。そして、ささえて下さった日本での先生方(以前に所属した)や、
韓国の長老会(オンヌリ教会と日本語礼拝部の皆さん、永世教会)イ・ヨンソン牧師様と共に仕えた伝道師の先生たち、そして松山協同教会(アライアンス教団で、私を宣教師として迎えて下さった)の愛する皆さんに感謝をささげます。そして両親にも(父は中学3年の時に天国に帰りましたが)。

さて、今日のQTです(時間は前後してます)。今日の箇所は、なかなか難しいところであり、読みたくない内容でもあるかもしれません。アラムの将軍ナアマンが癒された後に、エリシャのしもべゲハジが、人(エリシャ、ナアマン)を、そして神を欺き、自分の欲によって裁かれる所です。ここで起こる最大の疑問は、
「主は生きている」とゲハジが言ったことです。
① OH GODのような意味なのか?
② もらえるの当然の代価と思っていた
③ エリシャは報酬を受け取らないのがおかしい、と思った。
(神のリーダーへの不信任と不従順=神様への不信任と不従順へ)
ここで、思ったのは報酬を受けて当然と思う心は、私にもあるということです。これだけしたのに評価されて当然(お金のことで無くても、自分への扱いに対して)と思うこと。
それに、反することが起こる(反する対応や低められることに難しさを感じる)。お金のことに限らず、自分への扱いや、感謝されて当然と思うこと。また、不当な待遇を受けて思うことは何でしょうか。ちゃんとしてほしい、と思うのでないでしょうか。

私たちは神の救いをお金や良い行いで受けたのでしょうか。救いはただで受けた恵みでないのでしょうか。

神様への働き人への報酬は、聖書に言及されています(旧約聖書、新約聖書にも)。働き人は報酬を受けること、生活のささえを受けることが神様が言われています。
しかし、ここで言われているのは、自分の欲であります。
① 神様のリーダーにした決定に従わない
② しかも、ゲハジが自分でしたことでないのに、エリシャがしたことであり、
  神様の成されたことなのに、自分の報酬として当然に思った。
  全くの筋の通らない話(この世的にも)
③ うそをついて欺いた(人を、神を)
④ 人のために使う(エリシャの必要、二人の預言者のともがら)と言って、
自分のためであり、家の中にしまい込んだ。
  ⑤ ついたうそのために、さらにうそをついた。

今日、教えられたのは、与えられた恵みを分かち合う人になること。
   お金のへの潔癖さ(簡単じゃないです)
   いただいた恵みを分かち合うこと
   自分の欲のためでなく、神様のために

   しもべへの神様の裁きの恐ろしさ
神様が、ここまで導かれた恵みに謙遜に生きれるように。神様、一生涯をきよさで覆ってください、と祈りました。
牧師按手の時に,自分で祈った内容です。牧師として
① 聖霊の油注ぎ
② 御言葉に権勢を与えてください
③ 賛美に喜びの爆発を
④ 伝道に愛をあふれるようにしてください。です。愛する皆さんも共に祈って下さい。