坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 10月 27, 2006

信仰の遺産は何を送るのか?


「このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした」(列王記第二10:28)「主はエフーに仰せられた。あなたは私の見る目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。しかし、エフーは心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず、イスラエルに罪を犯させたャロベアムの罪から離れなかった」(30~31w節)

今日のQTは、エフーがアハブの家に対する神様の裁きをして、そして偶像の撤去を徹底的にした後の神様の言葉です。それは、一見祝福に見える部分ですが、それは限定された、条件つきのものです。エフーは神様の裁きをしましたが完全に従ったのでなく、ャロベアムからの罪から離れなかったのです。神様の目に喜ばれることはアハブの家への裁きと偶像のバアルをイスラエルから取りのぞくところまででした。ここに、列王記のスタンダードであるダビデのように神様の目に喜ばれることはしなかったのです。心を尽くしては主の律法に歩みませんでした。

今日の学べるべき教訓は、
① 神様の徹底したさばきがあることを恐れること、同時に
② しかし、エフーは100%でないために4代目までの限定つきの祝福であった
人は、自分の代に起こらない神様の裁きだからいいとか、考えてしまわないでしょうか。
また、4代先だから自分に直接は関係ないし、と思わないでしょうか。
しかし、天国の父が完全であるように、あなたがたも完全であるようにと言われます。
これは、確かに難しい要求です。人間的には不可能です。なぜ、神様はこのように言われたのでしょうか。

個人的な適用
① すべて解決していない問題があると、そのために祝福を受け損なう。
決して軽んじてはいけない。
② 最後まで自分の中に残っている罪や古い習慣を何だろうか。私の家にも、将来受け継ぐべき遺産はお金でなく、キリストにある信仰であり、朽ちない神様の愛であると思います。それを受け継がせるのか、それとも罪の呪いを送るのか、私の信仰者としての責任であると思いました。私の家の問題が神様に扱われることを祈ります