坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 10月 11, 2006

クリスチャンは純粋な心を失わない


列王記第二5章3節、7節
「その女主人に言った。もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに」
「イスラエルの王は、この手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った」

今日のQTの箇所は、神様によって勝利させたいただいたアラムの将軍ナアマンが、重い皮膚病にかかっていたことから始まります。ここに、イスラエルの地から略奪で連れて来られた和解娘が出てきます。ここで、彼女は自分の仕える女主人に言います。もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに」彼女は、略奪で敵地に連れてこられても、
①信仰と良心を失いませんでした。
②復讐する心を持ちませんでした
③仕える人へ祝福をもたらそうとしました
ここから、今朝教えられたことは、クリスチャンは逆境でも「清い良心」を失わず、卑屈な心や、傷つくのでなく、信仰を持って生きること。
その結果、神様を信じる幸福が周りの人々に影響を与えていくことです。

逆に、ナアマン将軍をアラムの王が手紙とお礼の品を持って出かけて言った時に、
国の支配者であるイスラエルの王からは、7節のような言葉が出てきて、「彼は私にいいがかりをつけようとしている」としか言葉も、服を引き裂くとか行動が出てこなかったのです。
①この世の力を持ちながらも、正しくその力を発揮できない。
②この世の考え、権力を自分のものとだけし、それを守る保身の考え。
③この世の力を与えた神様への信仰や、それを分かち合う心の無さ
対照的な2人が出てきます。

クリスチャンとして、私は逆境の中でも、日ごとに神様に心癒され、健康な良心を持っているのか、その救いを信じているのか、神様の幸福を分かち合っているのか、と思いました。

神様にある純粋な心を持って生きることを祈ります。