坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 10月 10, 2006

In the secret


In the secret
「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主はそれを私に隠され、まだ、私に知らされていないのだ。」(列王記第二4:27)

愛の源であるキリストを賛美します。
すっかりQTのアップデートが出来なくて、自分でも申し訳なく思ってます。決してQTが止まっているのでないのですが。分かち合いをするのにも、時間がなかなかゆるされない現状が。
韓国に来る前にある程度は予想できたのですけど。ここまでとは。

さて、過ぎていますけど、5日のQTです。
シュネムの女が、亡くなった自分の子供のためにエリシャに会いに行く場面です。そこで、エリシャの足元にすがりつくというところです。
ここに、驚くべき言葉があります。
「主はそれを私に隠され、まだ、私に知らされていないのだ。」
ということです。神の奇跡によって与えられた子供。その子供が死んだのに、その内容がエリシャには、未だ隠されていたのです。ここに、動揺しているエリシャの姿はありません。
未だに、子供が亡くなる事件があり、その理由も分からない状況なのです。

神への変わらない、揺るがない信仰があります。状況が悪くて、しかもその内容が隠されている、その悪い状況が何故起こったのか、分からない状況で、
ともすれば、神様への信仰が揺るぎかねない、自分の現実を先に動きそうな状況で
「主は隠されている」とエリシャは語り、神様への信頼と神様の隠されていることにも、
大きな信頼があります。「神が隠されているのだ」と。
それは、決して災いでなく、平安と勇気を与えるものでした。

私にとって、理由の分からない「難しい日常」や「働き」があります。昨日まで、そのために疲れていました。
しかし、神様が「隠されている」ことを信じます。
私を憎んでいるので、愛される神様の摂理と思いを信頼します。

エリシャとシュネムの女が二人だけで、主に祈った(33節)

そこに、神様の奇跡が起こりました。神様との静かな、密やかな交わりの中で応えられることを信じます