坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 2月 17, 2010

神様の栄光の重さを知らないと選択を間違う

ヨハネの福音書12;37-50
主イエスを知っても、信じないと力がありません。神様との関係はありません。救いも得ることが出来ません。また、信じて救われても、従うことがなければ、最大限の祝福を受け損ねます。というよりも、神様の栄光の重さが、地上での人生の安楽さ、栄光とすりかえられてしまうのです。これは痛いことです。しかし、今日のQT箇所のパリサイ人をはばかって、イエス・キリストを信じながらも、告白しなかった指導者たちは大きなものを失ったのです。彼らは目の前にイエス・キリストに出会いながらも、信じることを告白できずに、目の前にいる宗教勢力、社会の目を恐れたのです。目の前にいるイエス・キリストよりも自分の人生や立場や生活を失うことを恐れたのです。どちらが、恐れるべき、怖れるべきでしょうか?もちろん、主イエス・きりストでしょう。どちらが、重い救いを、永遠の命をくれるでしょうか?どちらが永遠の安楽をくれるのでしょうか?どちらが、本当のこの世の栄をくれるのでしょうか?どちらが、本当に永遠に続く栄光をくれるのでしょうか?主イエス・キリストです。しかし、私たちは恐れます。ほんの小さな出来事や、人間関係、問題を恐れます。今日、主イエス・キリストのゆえに恐れない選択と人生を歩みます、少し前の選択は恐れさせることがありました。自分は馬鹿でないかと?思いました。また、そこから来る人間関係の壊れを恐れました。しかし、主イエス・キリストにあって勇気を持って奮い立ちます。神様、弱い私を、信仰のない私を助けてください!

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