坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 12月 07, 2009

義務や形からでなくて人をたてよ


第二歴代誌29:25-36
生きている共同体には、組織には、生き生きと人を立てて、次の世代の人を立てていく喜びがあります。不足なように見えても、満ち溢れます。そこには、全焼のいけにえをささげるまで、賛美と感謝が止まりませんでした。ヒゼキヤ王は、賛美のためのチームを立てました。それは、預言者と先見者を通して、与えられた神様のメッセージによるものでした。それに従うヒゼキヤ王と民たちがいました。ここから与えられる恵みは、
①人を立てるのは神様の命令であること
②神様の働きはチームですることで、単独ですることではありません。
③人を立てるのは、霊的なリーダーを通しての神様の声による指名でした。今風に言えば、墨子先生や霊的なリーダーからのメッセージでしょうか。
④霊的なリーダーからのメッセージに従順することで、神様のチームは出来ました。私は霊的なリーダーを信じ、従っているのでしょうか。
心から進んでの礼拝と捧げ者は、すぐに行うことを持って現れました。従順を遅らせることは不従順です。昔は、従順を遅らせても、いいように思っていました。大方の部分では恵みは失われないように思っていました。いや、思い込んでいたのかもしれません。しかし、タイミングを遅らせての従順は不従順です。そこには、神様の恵みの大半、いや全部を失うことがあります。すぐなお心を持って従い、喜びの礼拝を捧げます。