意地を張らずに生きているのか?
第二歴代誌28;16-27
アハズ王は、イスラエルの属国であったエドムから攻められて、そしてダビデの時代に勝利をしていたぺリシテから(ダビデの時代にはぺリシテに勝利することが大事な条件でした)もまちまちを略奪されました。そして、偶像礼拝をするゆえに勝利しているのだと勘違いしたアッシリヤの王には、同盟しようとしたところが、逆に攻められて悩むことになりました。それは、主に対する不信の罪からくる裁きでした。主に対す不信は、別のところへ助けを求めます。しかし、主を信じない人生は、何の助けにもならないものに頼ろうとして、かえって攻撃されたり、裏切られたり、します。その結果は、王様として認められない人生でした。神様に対して意地を張って生きるのは、神様の赦し、受け入れてくださり、回復してくださる神様の愛を信じれない、知らないからです。神様のまことの人生の回復をすけることの祝福や得を知らないからです。神様の愛を信じ、歩みます。
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