自分を偶像とする人の最後は偶像を拝む人々から殺される
第二歴代誌24;15-27
南ユダ王国の王様であるヨアシュは、祭司エホヤダが亡くなった後は、神殿を立て上げた信仰は何処へやら、全くの偶像崇拝をするようになってしまいました。霊的な指導者、それだけでなくヨアシュの結婚まで準備した、霊的な父親である祭司エホヤダが亡くなった後は、全く方向性を失って、その信仰や人生までが倒れてしまったようです。エホヤダは信仰と人生の生き方がバランスが取れていた人生の幕引きをしました。それは、神様に人々に愛されれ、祝福された人生でした。
教訓は、神様への信仰がしっかりしていると、人生の祝福があること。
そして、生き方と信仰のバランスがとれること。その結果は、人々からも尊敬され、信頼されること
ヨアシュは、祭司エホヤダがいなくなってから、偶像礼拝をするようになりました。そして、神様を捨てて歩みました。そのために、神様は預言者を通して「主に立ち返らせよう、戒めました」が、耳を貸さなかったとあります。そこから学ぶ教訓は、
1:罪の自己防衛システムは、自分を正当化し、相手を逆恨みします。
2:自分の意見や考えや生き方を偶像化してしまいます。
自分は果たして、素直に物事を見ているのでしょうか?神様の前に悔い改め、人々の言葉を聞いているのでしょうか?
ヨアシュは、一度だけ神様に用いられて捨てられる人生を歩みました。それは、ヨアシュが神様を捨てたからです。そして、その最後はアモン人とモアブの人に殺されて死にました。それは、偶像を拝むヨアシュが偶像を信じる民に、殺されたのです。偶像を拝む人は偶像を拝む人に守ってもらえるのでなくて、その彼らから裏切られて死んだのです。無残な死では無いでしょうか。私は神様の前に素直に聞いているのでしょうか?神様の前に素直に物事を見ます。
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