坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 11月 21, 2009

誰のために満足しているのか?


第二歴代誌20:31-37
ヨシャパテの人生を振り返る記録があります。そこには、ヨシャパテ王が35歳と言う割と高い年齢で王位に着いたことと、父王であるアサ王の道を歩んだことです。それは、自分の人生を神様の目で喜ばれる人生で歩んだことです。人間の眼で喜ばれる人生でなくて、自分の眼で見た価値観の人生でもなくて、神様の目で見て喜ばれる人生を歩んだことです。また、果たして私は、大人としてロールモデルになる人生を歩んでいるのでしょうか?恥ずかしくない人生を歩んでいないのでしょうか?
本当に悔い改めさせられます。そして、心に残る部分が「高きところを除かなかったので、イスラエルの民は心が定まらなかった」という部分です。神様の前に、一部分の従順やある程度の従順、しないよりしたほうがいい従順でなくて、完全が要求されることが分かった気がしました。完全でなくては、心は定まらない、というこが感じられました。ヨシャパテは再び罪を犯しました。それは、北イスラエルのアハズヤ王と結び、自分の利益を得ようしたことでした。心を定めることが出来ず、完全でなかったからです。人は完全でありません。何度も過ちを犯します。だからこそ、間違いの多い子供に神様は最高の子供であるようにと完全を願われます。そんな力の無い子供だからこそ、最高の力を与えようとしてくれます。だからこそ、いつも心を定める必要があります。自分は何を気をつけるかチェックしてみました。
1:スキャンダルの話や噂話を聞いて、神様から心奪われるな!
2:否定的な考えや思いに時間を過ごさせるな!神様を黙想せよ。
3:自分の付き合うべき人は誰か?考えよ!間違った人や悪い影響を受ける人と付き合うな!
4:どういう仕事をすることについて
5:教会の礼拝に集中せよ
6:貪欲に気をつけよ。欲は必要ですが、自分のものや栄光に気をつけないといけません
7:何度もいつも、そのたびに悔い改めているのか?
イエス・キリストに従うことに満足していきます