坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 10月 09, 2009

神様の恵みはあまりに正直で、心からの純粋な思いを伝えさせようつする

ガラテヤ4;12-20
今朝のQTを通して思わされたいくつかの黙想ポイントがありました。
①:キリストの福音の関係がゆがむとき、神様との関係がゆがむときに、人間関係もゆがむことを思わされました。あれほどまでに、使徒パウロのために「目を抉り出して与えたいと思ったほど」の愛を持っているガラテヤの教会の人々が惑わされて、パウロを偽使徒でないかと思ったほどです。主イエスの福音がゆがめられるときに、人間関係も壊れます
②:サタンは人間関係を通して、神様への福音を疑わせます。そこには、キリストの関係を壊し、喜びを失わせ、愛を失わせ、代わりに疑いを持たせます。
③:神様の恵みを締め出す働きをする人は、常に自分に熱心を集中させます。最後の栄光は自分にあります。人々の熱心は、人々の慕い求めることは自分にあります。常に閉ざされた恵みです。
逆に、神様の恵みを流す、SHAREするのは、OPENで、人々の熱心と慕い求めることは、常に神様によってあります。栄光とGOAL、そして過程、STARTは神様にあります。
④:そして、あまりに純粋に、正直に、自分の思いを伝えようとする、自分の思いを、愛を分かって欲しい、というストレートでテクニックを使わないパウロの愛での勝負する心があります。
はたして、神様の恵みを持ってこのような姿勢でしょうか?今日、本当に純粋で、心から伝えようと愛を持って歩みます。