坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 9月 30, 2009

神様が記録されている人生は喜びか?

第一歴代誌29:21-30
ダビデの人生の最後は、ソロモンへの王位継承、リーダーシップ交代を礼拝と喜びの中で行ったことです。そこには、
1:ささげものを「おびただしく」ささげた様子
2:大いに喜んで、主の前に食べたり、飲んだり、したことが書いてあります。
3:主のために、「王と祭司」を立てる
4:主に会って建てられたリーダーシップに聞き従ったことが出てきます。
5:そして、一番大きいことはダビデよりも大きい者とされて、大いなるものとされたのです。
人生の最後に、人は試されます。自分に栄光を返す人生なのか?神様に栄光を返す人生なのか?神様のために働いてきても、自分のものとして、自分がした、と主張しがちです。しかし、ダビデはそうでありませんでした。自分よりも後のもが用いられても喜びました。それは、神様に用いられ人生が最高に自分にとって喜びの人生だったからです。神様の書に記録されていることを一番正確であり、怖れて、生きました。私の人生は、
1:自分の物や、自分の人生を使っていただくことに、自分の賜物を神様に用いていただくことに喜びがあるのでしょうか?
2:神様の書に記録されて恥ずかしくない人生を歩んでいるのでしょうか?
本当に、そうだと言えないものです。しかし、神様を愛し、喜び歩んで仕えていきます。