坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 10月 07, 2009

私を人格者と扱う神様はイエスを奴隷とされた

ガラテヤ3;19-29
主なる神様は、私を救いへ導くために、律法を与え、主イエス・キリストにある信仰の養育係としてくださいました。神様を離れて生きている違反を教えてくださいました。的外れを教えてくださいました。しかし、それはいつも強要でなくて神様は人格者として、扱ってくださいました。そして、神様にある相続者としてくださったのです。自由を与えようとして、神様の子供として、キリストに属するものとして一つにして下さろうとしました。しかし、いつも神様はそのためにキリストを卑しめられ、十字架の愛によって一番低くされました。神様から離れたものとされました。あまりに分が悪い話で無いでしょうか。また、あまりに理由の無い話で無いでしょうか?このような愛を私は受けたことがあるのでしょうか?私が人格者として扱われる反面、自由人として、意志を持つ大人として、扱われて、切ない愛で愛してくださったのに、主イエスは無条件にいわれの無い苦しみと辱めを受けたのです。ハレルヤ!主イエスを賛美します。このような愛に律法でなく、心でこたえる人生を歩みます。