坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 10月 05, 2009

AD49年も2009年もキリストをはっきりと啓示される

ガラテヤ3:1-9
ガラテヤ人への手紙が書かれたことが、第一次宣教旅行の後であるなら、AD49年ごろに南部ガラテヤ地方の人々へ書かれたことになります。そのガラテヤ人に向かって、パウロは「キリストがアンナにはっきりと示された」のに、と言います。それは、イエス・キリストの十字架を現場であるエルサレム、カルバリで見た人はいなかったでしょう。しかし、聖書を通して、御霊の働きを通して、宣教師であるパウロたちを通して、彼らは行いでなくて「イエス・キリストの十字架」によって罪許されることを体験したのです。徹底的に人間の行い、善行でなくて、神様の力によるものを信仰によって受け取ったのです。ですから、血統によるイスラエルがアブラハムの子孫なのでなくて、イエス・キリストの十字架の血潮による信仰の人々がアブラハムの子孫なのです。では、私はアブラハムの子孫としてどのように生きるのでしょうか?どのように信仰の人として生きるのでしょうか?信仰とは、神様の祝福を受け取る唯一の道であり、神様の祝福を分かち合う道です。アブラハムは創世記12章において「行くところを知らずに、出て行ったのです」信仰は意志です、WILLです。私にとってすごく示される部分があります。本当に信仰がないなと思います。神様への信頼を持ってしたがっていきます。