坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 11月 26, 2008

愛が無いなら

Ⅰコリント13;1-13
頭じゃわかっていても、瞬間瞬間の反応や、実際の生活で反応しにくいのは愛でないでしょうか。
いくら聖書は、才能や知識や能力があっても、愛が無いなら意味が無いと言います。最終的には、完全な信仰さえも、愛が無ければ意味が無いと言います。私たちには、世の中の価値観が頭にこびりついて、信仰でものを見ることができません。人を才能で判断してしまいます。しかし、聖書の判断基準は愛であると言います。クリスチャンの判断基準は愛で無いといけないのです。しかしここで、疑問が起こります。信仰までも愛が無いなら意味が無いとは難しいことに感じないでしょうか。
信仰までもそうなのか?と思います。しかし、すべての能力や実力を運ぶ土台はその人に愛があるのか無いのかなのです?神様のご性質は愛です。神様の本質は愛です。
収税人のザアカイを変えたのは、知恵のある指摘でないのです。神様の愛なのです。
友となられたイエスの愛から自分から悔い改めが起こりました。
今日、私の一番近くにいる母に愛を持っていきます。起こらないように、指摘しないようにします。