坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 11月 16, 2007

more than i can be

「見よ、彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる」
「しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は世々限りなく、神の恵みにより頼む」(詩篇52:7-8)
今週も、いよいよ週末に向かっています。今朝の特別早朝祈祷会も大きな恵みがありました。昨日から、留学生の為に通訳の奉仕をしています。これも大きな恵みで感謝です。日本では、なかなか早朝祈祷会が見られない風景ですが、韓国でもなかなか見られない朝から1万人以上がささげる大きな恵みです。
さて、罪とは何でしょうか?神様との関係が壊れることです。悔い改めとは何でしょうか。それは難業でも苦行でもなく、神様より好きだった罪を嫌いになることです。神様の愛するものを愛することです。現実の中で、神様より現実を優先して生きることや、小さいうそをつくことはないでしょうか。
今朝も、神様が私に下さった恵みは「罪の悔い改め」でした。同時に、それが嫌なものでなく、つらいものでなく、神様を愛することであり、神様に頼るものでした。
そこで、自分の力で何とかしようとするから、難しいのであり、神様があなたを超越して働かれる大きなみわざをすることができないのです。私の考えよりも、私を大きく用いられる、私を超えて持ちいらえる、神様の計画に頼るのでしょうか。それとも、自分の富に頼るのでしょうか。
神様に頼って、私を持って大きくする神様に頼るのでしょうか。
神様の心を持って、神様が私を大きく用いてくださることに進むのでしょうか。
自分人の問題が神様に用いられるときに、解決され、国と民族のために用いられることを信じ、祈ります。