既得権を捨てる人は自由だ
キリストイエスのしもべであるパウロとテモテから(ピリピ人の手紙1;1) 使徒パウロは、自分のことを使徒と紹介しないで、「キリストイエスのしもべ」と自分のことを紹介します。はたして、自分は自分のことを紹介するときに、自分の職業やいろんな既得権を放棄して「キリストイエスのしもべ」と堂々といえるだろうか、と思いました。使徒パウロが獄中書簡であるこの手紙を書いたときに、かれのテーマは喜びでした。しかも、人からの慰めがほしい、助けてほしいときに、パウロは人につかえる「しもべ」であったのです。ピリピ教会を設立し、犠牲を払いその結果は牢獄だったのです。普通なら、自分の既得権どころか報酬や地位を主張してもおかしくないところでしょう。しかし、彼は既得権を放棄する喜びを持ったのです。自分を一番低いものとして紹介し、福音のために何でもできる喜びを隠しませんでした。放棄したときに、神様に属したときに、彼のに臨んだのは本当の自由でした。そうして、ピリピ教会の聖徒のために祈り、感謝した時に本当の聖徒の交わりを味わい、自由と喜びあふれる人生を牢獄の中で得、分かち合う勝利者となったのです。 私にとって、日ごとの苦労や難しいこと、経済的な困難、不平不満を言う状況を既得権を捨てる自由を得ます、祈ります、喜びを分かち合う人にしてください。
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