坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 5月 31, 2007

神に仕えるとは

今, あなたがたは 主を 恐れ, 誠實と 眞實をもって 主に 仕えなさい. あなたがたの 先祖たちが 川の 向こう, および エジプト で 仕えた 神¿を 除き 去り, 主に 仕えなさい.
もしも 主に 仕えることがあなたがたの 氣に 入らないなら, 川の 向こうにいたあなたがたの
先祖たちが 仕えた 神¿でも, 今あなたがたが 住んでいる 地の エモリ 人の 神¿でも, あなたがたが 仕えようと 思うものを, どれでも, きょう 選ぶがよい. 私と 私の 家とは, 主に 仕える」(ヨシュア24;14-15)

今日の聖書箇所は、とても有名なところですよね。そのテーマは神様に仕えることです。ここで私に与えられた恵みは、自分にとっての偶像は何かでした。また、自分にとって偶像になりやすいものは何かでした。牧師ですので、偶像礼拝をすることはないでしょう。しかし、神様を愛するよりも、神様を忘れるようなことがあるならば、どうでしょうか。自分にとって音楽や映画が時にそれになることがある気がしました。神様への完全な熱情と初めの愛で愛することが失われることがあります。映画や音楽自体が悪いものでありません。しかし、それが神様より愛するならどうかと思いました。聖書を読むよりも、祈るよりも、説教のテープを聴くよりも、牧師としての献身を適当にするようなものならばどうか、と思います。それら偶像は、コントロールするもしくは捨てるべきものです。また、この日のQTは共に分かち合いをしました。それもすごく良い時間になりました。日曜日の朝にqtの学びを教会の子に指導しています。その中で学びをした子は、「誠実を持って神様に仕える」ことが心に留まったそうです。そこで、それを「うそをつかない」ことかな?と私に分かち合って話してくれました。面白いですよね。
そこで、私はこのような適用をしたらどう?というアドバイスをしてみました。それは、相手のためだと思って言う「小さなうそをつかないこと」と話してみました。どうでしょうか?皆さん。相手のためだと言って「小さな嘘」や会わない相手とも合わせる嘘をついていませんか。真実な態度で生きていますか?

また、イスラエルの民を導かれた神様は私を真実に導き続けてくれました。日本での献身のスタート、そして韓国での神学大学院での学び、オンヌリ教会での奉仕、そして日本の松山協同教会での奉仕、今のサラン教会での奉仕それを覚えるときに、自分が失敗しても捨てず導き、自分の器量よりも大きな祝福を注ぎ、あふれさせてくださいました。神に仕える人生は幸福だと告白できます。私と私の家は神様に仕えていきます。