坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 3月 28, 2007

何故、愛の告白をするのか


「女のなかで最も美しい人よ。あなたの愛する方は、どこへ行かれたのでしょう。あなたの愛する方は、どこへ向かわれたのでしょう。私たちも、あなたと一緒に捜しましょう。」

(雅歌6:1)


今日のQTも雅歌の箇所です。
朝にリビングライフを開いた瞬間に、「今日もこの告白」だ、と思いました。
何故、何度も同じ告白がされるのだろうか、と考えました。
聖書に不必要なことはないし、必要な言葉が今日もわたしに語られています。
何故、日ごとに「愛の告白」が繰り返されるのか?
忘れるからだ、と思いました。また、慣れっこになるからだと思いました。
私にとって、日ごとに神様からの愛の告白を聞く必要がある、
また、私が神様への愛の告白をする必要があることを覚えました。

日ごとへの神様の恵みは新しく、私を作り変え続けることを覚えました。
「あなたの愛する方はどこへ向かわれたでしょう」

神様への関心はどこにあるでしょうか。神様の居られるところ、神様の願われること
に、愛する者は関心を持ちます。今日の雅歌も、愛の告白に豊かで。
私の人生は、神様への愛の告白に豊かでしょうか。
私は神様に関心を強く持っているでしょうか。
私は神様の愛に馴れ合いになってないでしょうか。

新しい神様への愛で、豊かな恵みの中で生きます。
ロマンチックな神様への愛の告白を賛美します。