自分のエネルギーはどこから
「ピラトは彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである」
(マタイの福音書27章18節)
「~では、キリストといわれるイエスを~」
(マタイの福音書27章22節)
今朝のQTで与えられた恵みは、
主イエスを裁判する場所での祭司長、長老たちとピラトの裁判する、人を判断することの原因は、
そのエネルギーはなんだったのか、ということを黙想しました。
祭司長たち、長老は
①イエスへのねたみが、イエスを裁く(殺そうとする)原因でした。
②それは、祭司長と長老たちの宗教者としての外見だけの生き方をつかれたことへの
怒り、それは罪への自己防衛、自己主張でした。それは、自分の罪を守るために、
人を殺してもかまわない心でした。
↓
果たして、私は「人へのねたみ」また「罪の自己防衛(簡単に言うと逆恨み)」から、
人を傷つけたり、その存在を否定したり、心の中でその人を殺そうとしていないか、
その人の働きを止めていないか、と黙想されました。
③主イエスを動かした原因は、神様にある愛でした。それは、自分を主張せずに
人を許し、人を自由にし、人を生かすことになりました。
④「ねたみ」は、キリストを拒む人生を送ることになりました。「キリストと言われるメシア」を受け入れない人生です。しかし、そんな人たち、私のためにキリストは自己主張もされず、神様にその人生をゆだね、従順に生き、十字架にかかってくださったのです。
個人適用:今日、私の中にある「ねたみ」を告白して生きます。キリストによって変えられた人生を送ります。今日出会う留学生に「私の罪の責任を負ってくださったイエス」を伝えていきます。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home