復活の朝の「おはよう」
「こう言った。閣下。あの、人をだます男をまだ生きていたとき、「自分が三日の後によみがえる」と言っていたのを思い出しました。」(マタイの福音書27:63)
「すると、イエスが彼女たちに出会って「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ」(マタイの福音書28:9)
イエスキリストの受難、十字架の死の後に祭司長たち、パリサイ人たちはピラトのところに集まって
「イエスの預言」を否定するために集まります。そこにあるのは、イエス・キリストを十字架で殺してなおかつ満足できない、安心できない、不安な人の様子です。
イエスをねたみから殺しておいて、それで、さぞかし満足であろうという朝に彼らのした行動は、
未だに安心できない、満足できない人の罪ある姿勢でした。
人の前にも、神様の前にも確信がある人生を生きていない姿です。
今朝の黙想は、罪ある人の人生は(人を許さないで生きる人の)、満足が無いということです。
イエスは、神様はその十字架で打たれた傷跡を見て満足されるのです。
イエスは復活された朝に、出会ったマグダラのマリや、ほかのマリヤに天使は言われました。
「恐れてはいけません」でした。そしてイエスの言われた言葉は「おはよう」でした。
私の人生は、日ごとに罪の許しをイエスの十字架にいただいて満足しているでしょうか。
感謝しているでしょうか。平安な日を生きているでしょうか。
今日を与え下さったイエスに満足して、平安な一日を生きます。
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