坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 3月 24, 2007

満足する人生

「愛する方の声。御覧、あの方が来られます。山々を飛び越え、丘おかの上をはねて」
雅歌2章8節
「私の愛する方は、私に語りかけて言われます。我が愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで」
雅歌2章10節


愛する皆さん、最近のQTはいかがでしょうか。神様の愛する者よ、という声を日ごとに聞いてらっしゃいますか。雅歌を通しての祝福があふれることを祈ります。
さて、今朝の雅歌の箇所は非常に有名なところであり、韓国語でも賛美がある箇所です。

愛する人の声を聞く一日のスタートはどれほど心地よいものでしょうか。
また、逆に愛する人への告白をしての一日のスタートはどれほどすばらしいことでしょうか。
神様は、そのように私たちに語りけてくださいます。
神様は、どこにいてもその愛する人のことが気になるように、目に入るように、私のことを思ってくださいます。
今日、私に与えられた黙想は、1章で語りかけられている女性が、ブドウ畑の黒い女性であったということです。愛する人にとって、相手の人が黒いとかを見る必要が無い、ということです。ほかの誰と比較しても、白いとか黒いでなくて、不足なところがあるでなくて、
その相手を愛するゆえに見えないことなのです。
その人に満足していることなのです。

私は神様に愛され、満足されている存在なのです。自分にがっかりしたり、傷ついたときに、自分をどこか別の場所において置きたい、隠れておきたい、という気持ちを持つことがあります。しかし、そんな私に神様は「あなたは美しい、満足している」といわれるのです。
こんな福音がどこにあるのでしょうか。自分を愛せないひとや、自分にがっかりして、
逃げている時に、「わが愛する者よ、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで」と
神様は言われます。


今日一日、私自身に、周りの人にも満足して生きていきます。