坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 5月 08, 2006

求めるべき神の祝福

「ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やってきた。」(列王記第一10:1)
「なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に知恵を聞くことのできる家来たちは。」「あなたを喜ばれ、イスラエルの王座に着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるのです」 (列王記第一10:8-9)

子供の日どのように過ごされましたか?私たちの次世代が神を恐れる世代として歩むことを祈ります。

クリスチャンは、この世にあって「地の塩、世の光」です。この世の中へ唯一の希望であるイエス・キリストを証する仕えるリーダーです。そのために、どうすればいいのでしょうか。シェバの女王が、「主の名に」関連してソロモンの名声を聞いた、とあります。ソロモンの知恵や財や繁栄が神にあることを伝え聞いたのです。クリスチャンを見るときに、世の人は実を見て判断します。そこには、大きなプレッシャーがあります。とうてい私にはできそうもないと。

しかし、この朝に私に与えられたのは「神に祈り求める祝福」でした。祝福や繁栄を求めることは、なにか高慢な感じがします。しかし、本当に必要な祝福であるクリスチャンとしての聖霊の実を結ぶことはどうでしょうか。また、クリスチャンとして世に影響を与える神の愛や力を求めることはどうでしょうか。

ともすれば、私(わたし)たちは、今必要なお金であるとか、人間関係であるとか、現実に見える部分ばかり求めえて、大切なクリスチャンとしての「キリスト」に似ていく人格を求めているでしょうか。具体的に祈っているでしょうか。わたしはすごく少ないような気がしました。

今朝のソロモン王から見る祝福は、

①シェバの女王の持つ質問を話させることのできる人格
②それに全て応えることのできる能力を与えられている
③部下が一緒にいて幸福なリーダーである
④その言葉を聞いて恵まれる
⑤自分の思いでなく、神の公正と正義を行う。


それらを、ソロモンは自分のためでなく、神の栄光のために求め、用いたのです。

これを得るために、私のすべきことは何か、思いました。それは、まず何より

①神が私を喜ばれている、愛されている御声を聞くことです。

私たちクリスチャンや、いや私は外側の行動ばかりに気をとられしまうことや、仕事を先にすることにおぼれ、神の私はあなたを愛していることを忘れ、結果主義になってしまうことがよくあります。しかし、「あなたを喜ばれ」(列王記第一10:9)と異邦人のシェバの女王が神を認め、しかも、神があなたを喜ばれ、とまで告白しています。

仕事をする前に、神の愛してる声、神が私を喜ばれている声を聞くものが、挫折しても立ち上がることができ、落ち込んでも、勇気を得ます。そうしてこそ、神のリーダーとして立てられます。愛があって、そしてキリストの正義と公正を持つリーダーが人に仕え、その共同体に祝福を流すことができます。

②リーダーは愛だけでなく、公人として「正義」が必要です。

その結果は、「だれもこのようなものを見たことがなかった」(列王記第一10:12)祝福です。韓国において、日本においても、神の人になっていくリバイバルの祝福を祈ります。

もしかして、あなたはクリスチャンと呼ばれる恵みが、ありますように。