坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 5月 06, 2006

誠実に生きることの尊さ

「しかし、ヒラムがツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、それは彼の気に入らなかった。それで彼は、兄弟よ、あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか。と言った。」(列王記第一9:12~13)
「すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した」(列王記第一9:19)


ソロモン王にとって、繁栄の時を向かえ自分のしたいと思っていることをできる、という聖書箇所です。ゲゼルの町を再建し(リビングライフの地図もあります)、建てたいと思ったものを建て、さらに聖絶できなかった民族を奴隷の苦役に徴用する、という時でした。主の宮と王宮を20年かかって建て終わった時でもあり、まさに、繁栄の時です。

自分たちの人生において、自分が思うままに「物事」をできるとか、言いたいままにできるとかは、ほとんど無いのでないでしょうか。羨ましい限りです。また、これらの聖書箇所を読む時に、お金や物へのコンプレックスや
成功へのコンプレックスを感じる人も多いでしょう。ちょっと、かえって恵みを受けるのにそれが障壁になるかもしれません。まさに、今日のリビングライフの「繁栄の時に何をすべきか」です。

ソロモンは、この主の宮と王宮を建てるのに、大きな協力と業績のあった人に誠実に応えることをしませんでした。神が下さった祝福には、謙遜に感謝すべきであり、その祝福を持って他のへ良い影響を与える、祝福を分かち合う義務があります。神の与えてくださった恵みに感謝し、謙遜に歩む必要があります。神の下さった繁栄を正しく歩まないと、落とし穴になります。

私の生活は、どうかと思いました。神の与えてくださった恵みを感謝しているか、それを分かち合っているのか、と思いました。ソロモン王は、大きな繁栄を下さった神に、主の宮のささげものをし
たけれど、ヒラムに対して誠実に応えるクリスチャンとして(いや、人として)の姿にかけてしまいました。

私の生活の場は、日本から再び韓国になります。日本と同じような家や生活ができないと思います。ちょっと、心配もしています。しかし、そこでも祝福してくださる神に感謝して、分かち合う生き方ができることを祈ります。大きな業績だけでなく、誠実に歩めることを期待します。