管理人として生きる
「こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完成した。そこで、ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の器具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。」(列王記第一7:51)
今朝も、主イエスにある喜びの人生が回復できるように祈ります。昨日は、教会の家庭集会がありました。そこで、思ったことは(自分がですよ)私はできなかったことに目を留めることや心を留めることが多く、神様の下さったものを感謝をすることを忘れているな、と思いました。自ら不幸に陥れている、ということです。
神様の与えて下さったものを感謝しようと思いました。そこに幸福があります。平井家庭集会の愛する皆さん、ありがとうございます(読んでいる人いらっしゃるかな?)。昨日は、初めて来られた方と求道中の方もいらっしゃいました。感謝です。
さて、ソロモン王が主の宮に納める器具についての箇所が今朝のQTでした。そこには、ベストを尽くして神様から与えられたお金、人生、人、国の力をささげるソロモンの姿がありました。神様に与えられた環境や、賜物、時間、お金、土地など、ソロモンの場合は更に、国力をあげて主の宮を作りました。しかも、イスラエルの国力にとどまらず、イスラエルの国でできないことは外国人に力を求めて(列王記第一4:6)そして、今日の箇所ではナフタリ族のやもめの子と言うヒラムという技術者を呼び、最高の最善のものを作らせます。そして父ダビデが聖別したものを受け継ぎ、主の宮に納めました。
私たちに与えられた環境や、時間(人生そのもの)、また父や母から受け継いだもの、またお金や、土地、賜物、すべてのものを神様は、私たちに託されていることを覚えます。それを使って、ベストの素晴らしいものをつくることもできるし、そこそこのものをつくることもできます。それは、私たちに任せられています。どのような人生を作り上げるのか、託されています。
ちょっとQTしながら考えたことなんですが、私の住んでいるのは愛媛県の松山市です。その隣の香川県に日本でたぶん有名な「こんぴらさん(一応神宮ですか)」があります。江戸時代には門前町として栄えたそうです。なぜ、人々はこいうところに行くのか、心情が知りたくなりました。四国ですから、お遍路さんも多いです(しかもわりと若い人も)。大阪出身で、なおかつ韓国に7年いて、4分の一韓流かなと思う私には驚きです。そこに行った時に(偶像礼拝しに行ったのでありません)、あまりに広い敷地に歩いていて「何でこんなとこに来たのか、嫌になった」のですが、一番奥に会社や企業の奉献物や、そうした奉献したことを広告するものがありました。日本の企業や人々はこういう社会や関係に生きているんだなあ、と思いながら、帰る道々、いつの日か、日本の地に、日本の人々が「まことの神であるイエス・キリスト」に立ち返るように願いました。この道で商売してる方も「主イエスが愛されている」ことを知るように祈りました。どうか、別の商売をするまでに導かれますように。
さて、日本の地の救いのために、大望を持つことも必要だと思います。しかし、それだけでなく、一人一人のクリスチャンが神様に与えられた人生に感謝して生きる時、その人生に幸福が満ちる時に、世の人々が「あなたの持ってる幸福は何?」と思うし、聞いてくるのでないでしょうか?私の人生が自分のものでなく、神様のものであるという時に、まことの賛美が起こるのでないでしょうか。
今朝の適用:自分が自分のものである主張をおろさせてください。けちな自分が、豊かな父なる神からいただいたものを主なる神にささげれる人として新しく造り替えてください。
PSこんぴらさんは、宗教だけでなく、温泉やうどん、銘菓、食べ物、お酒、芝居小屋とすべてワンセットの旅行パックの観光地ですね。江戸時代の人は楽しみに来たんだろう、と思いました。
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