坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 3月 23, 2006

涙の流せる恵み

「わたしの目から涙が川のように流れて」
エレミヤの哀歌3:48

悲しむのあることは、そのことに涙の流せる場所や涙の流せる相手のいる人は幸せです。何故なら、その人は「回復」できるからです。神様の前に涙の流せる人は本当に幸福な人です。自分の罪の痛みを悔い改め、涙の流せる人は「ゆるし」を体験できます。神様の「あなたは自由だ」という解放の声を聞く事ができます。あなたを愛している、というキリストの声が迫り来ます。

しかし、逆につらいのは「涙の流すことのできない」人です。自分の中に「傷」や「悪い感情」、整理されていない思いに支配されてしまいます。

そして、それが自分を、他人を痛めるのです。

私にとって「悲しみ」や「痛み」だ、「自分の人格」を無視されるように感じる事があります。しかし、キリストの前に「幼子」のように涙を流し、いやしの手と、神様の勇気と行くべき道と行動が備えられています。

「わたしの目が絶えず涙を流してやむことがなく、主が天を見下ろして顧みて下さるときまで続く」50節

主が顧みて下さることを信じ、今日も歩みます。