神のしるし
「あなたはそれよりもさらに大きなことを見ることになります」ヨハネ1章50節B
今年初めてのQTの分かち合いです。私と愛する皆さんの一年が神様にあってわくわくするような信仰の期待であふれることを祈ります。
アンデレや、ピリポが「神の子であるイエス」について伝道するところです。彼らはイエスが約束のメシアであることを知ると、黙ってられなかったんだな、と思います。そして、それは自分の大切な人へ伝えることになりました。イエスに出会った人はその人生が変わります。それは、次の人へイエスを伝えます。来て見て下さいと。しかし、今日は自分がさらに気づいていなかったことを発見しました。それだけでない、と。
ピリポは「来て、見なさい」とイエスへ案内しました。そこでナタナエルは自分の存在を示すイエスに出会いました。しかし、それで終わるのでなく、「さらに大きなことを見ることになる」と言われたわけです。「わたしが言ったから信じるのか?さらに大きなことを」と主イエスはナタナエルに言われました。
ここから私に与えられた神様のメッセージは神様にあって生きる人生は、「来て見たら」もっとすごいことがまっているわけだ、ということでした。自分の予想していない神様のわざを見て行くことになるわけです。自分がイエス様を信じてから、どれほど「神様のみわざ」を見ただろうか、と考えて見ると、神様と共に歩んでから、想像も出来ない人生を送り、恵の中で生かされてきました。
献身してからの人生、何も頼ることが無い中、神様に頼ることを教えられ、応えてくださった神様、韓国に行ったこともそうでしたし、そこで神学大学院、オンヌリ教会の日本語礼拝部に通い、ご奉仕させてくださったこと、書き出したらきりが無いくらいです。ほんのわずかしか従順に従わなかったような者も、100倍にして与えられた神様であることを覚えます。感謝します。その主イエスをどれほど伝えてきたかな、と思います。大きな悔い改めと、もっともっと主イエスを伝えないと、と思います。
自分が今ここに希望を見出せない時も、主イエスに行くとき、神様の救いがあること、それは自分の予想もしない神様の「大きなみわざ」であることを覚えます。年末年始と、2006年の歩みについて「もうだめかな?」と思うような心配を思っていました。これからどうしよう?という思いです。年末にこんなことを考えるなんてさびしいですね。
しかし、神様は「さらに大きなことを」見ると言われました。今年が、私には「だめな」思いで、解決できぬような思えても、神様のわざがなされることを信じ、祈り、賛美します。
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