「自分病から開放されよう」
サムエルⅡ22:1-13
「主がダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った」
1節ダビデは、逆境にあればあるほど、歌が歌えないときほど、いわれの無い苦しみの時に、賛美をする人でした。人は苦しみを味わったことが一番重要なのでなく、その中で神様に出会った、祈りに応えられる神様を知った、神様の力を体験したことが重要です。
最近、私は教会の方から「夜回り先生」と呼ばれる方の本を薦められて読みました。それについてコメントする気はここではないのですが、そこに、「最近の子どもは自分病だ」という文句があり、心に残りました。まさにそれは、「自分は最近どうだ」とか、「人の自分の扱いはどうか?」また「こんな奉仕でいいのだろうか?」など、数々の自分にこだわっている私がいました。
しかし、ダビデは「自分」でなく、「自分を取り囲む問題や人」でもなく、主を賛美しました。神様の力を、神様がどんなすばらしいお方であるか、告白したのです。それは、決して人の借り物では出てこない神様への賛美でした。大事なのは、「自分、自分という」自分病でなく、自分の問題でもなく、まず祈りと賛美が主なる神様に集中していくことが私の一番であるはずです。今日の神様の力を、私がこのような告白をさせてください、という祈りでスタートしていきます。
①今日の朝の教職者の祈りの時間が変えられました。人を意識している祈りでなく、神様へ集中する祈りとさせられました。ハレルヤ!②また、今日の私の奉仕のメインは水曜日の祈祷会に参加(何が任せられているのでなく)、そして教会の庭の木を切ることでした(これを読んでびっくるされるかもしれませんが)。神様への感謝と喜びのうちにできました。感謝です。いつもなら、こうはいかないところだったのに。
主に感謝と栄光をおかえしします。
「主がダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った」
1節ダビデは、逆境にあればあるほど、歌が歌えないときほど、いわれの無い苦しみの時に、賛美をする人でした。人は苦しみを味わったことが一番重要なのでなく、その中で神様に出会った、祈りに応えられる神様を知った、神様の力を体験したことが重要です。
最近、私は教会の方から「夜回り先生」と呼ばれる方の本を薦められて読みました。それについてコメントする気はここではないのですが、そこに、「最近の子どもは自分病だ」という文句があり、心に残りました。まさにそれは、「自分は最近どうだ」とか、「人の自分の扱いはどうか?」また「こんな奉仕でいいのだろうか?」など、数々の自分にこだわっている私がいました。
しかし、ダビデは「自分」でなく、「自分を取り囲む問題や人」でもなく、主を賛美しました。神様の力を、神様がどんなすばらしいお方であるか、告白したのです。それは、決して人の借り物では出てこない神様への賛美でした。大事なのは、「自分、自分という」自分病でなく、自分の問題でもなく、まず祈りと賛美が主なる神様に集中していくことが私の一番であるはずです。今日の神様の力を、私がこのような告白をさせてください、という祈りでスタートしていきます。
①今日の朝の教職者の祈りの時間が変えられました。人を意識している祈りでなく、神様へ集中する祈りとさせられました。ハレルヤ!②また、今日の私の奉仕のメインは水曜日の祈祷会に参加(何が任せられているのでなく)、そして教会の庭の木を切ることでした(これを読んでびっくるされるかもしれませんが)。神様への感謝と喜びのうちにできました。感謝です。いつもなら、こうはいかないところだったのに。
主に感謝と栄光をおかえしします。
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