坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 12月 14, 2005

「二つの招待」

箴言9章4,16節「わきまえのない者はだれでもここに来なさい」6節「わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道を、まっすぐ歩みなさい」

お久しぶりです。最近のQTは箴言です。知恵は、自分に本当に欠けていることだな、とつくづく思わされます。今日の箴言9章には、「二つの招待」があります。それは、命を得る知恵からの招待と死者の霊からの招待です。怖いですね、本当に。誰でも死者の霊からの招待を受けたいとも、行きたいと思わないでしょう。

私だってそうです。しかし、7節「あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける」とあるように、「命を得る知識」からのの招待は、決して楽なものや、耳障りのいいものでないかもしれません。いや、かえって逆なことが多いでしょう。また、せっかく「命を得る知識」からの招待を受けても、その6節「悟りのある道をまっすぐに歩む」ことが、どれほど難しいことでしょうか?また、逆に死者の霊からの招待は「耳障りのいい、歩きやすい、甘く、うまく」感じ、見られるのものです。

私にとって、最近の「心とらわれている」ことは何か、それは「現状の中に楽をしたい」ことでした。問題起こることよりも、働きが命が無くても、まあいいか、しょうがない、ということ。そこまでしなくても、という神様からの押し出されることなく、上からの力をいただいていませんでした。命のある働きよりも、人間関係の安楽や、問題の起きないことや現状の生活の安定を欲していました。神様の前にベストを尽くして生きることや、難しい状況にあっても、「命ある働き」をすることを選ぶべきことであるを示されました。

神様、あなたのために何も出来ないものですが、「命の道を歩ませてください」それを選び、まっすぐ歩ませてください。今日も、神様からの「命の招待」が私へ、そしてその「神様の招きを伝えていきます」