坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 12月 17, 2005

沈黙を守ること

箴言11章12節

「知恵の無い者は(韓国語聖書)~その隣人をさげすむ、明察を持つ者は静まる」
「隣人をさげすむ者は思慮に欠けている。しかし、英知のある者は沈黙を守る」

今朝も知恵書から、神様の恵みが与えられることを感謝します。少し、日本語と韓国 語で感じが違うので、 書いてみました。読まれる皆さんはどう思いますか?

さて、今朝の私がいただいて恵みは、神様が私たちに与えて下さる知恵を持って生きることは、神様にもちろん、隣人に喜ばれる生き方であることでした。まさに、私の今日必要な御言葉でした。

普段の私の生き方を見ている隣人、そして教会の方々。そこにどのような生き方をすべきか、今朝も教えられました。ちなみに、私は商店街のビルディングの4階に住んでいます。ですから、字義通りには隣の部屋の方はいないのですが。

さて、隣人の秘密を守ることの貴重さは、英知である、と聖書は語ります。韓国語では「静まる」という表現です。クリスチャン同士であっても、教会の中で あっても、「沈黙を守ること」が必要な時があります。人間は「沈黙を守ること」より、「話、行動し」てしまうことが、どれほど多いことでしょうか。 また、人の過ちや失敗をどれほどニュースのように話してしまうことが多いのでないでしょうか。 そして、人の判断を下してしまうことが、また多いことでないでしょうか。

しかし、まことの解決は、その隣人のことや問題を「静まり」神様の前に持っていくことです。どれほど大切なことでしょうか。知恵の究極の結果は「いのち」を得ます。それは、神様からの命です。それは、更に次へ、次の人へ生み出していく神様の命です。

昨日、最近私の行動に悩むことがありました。しかし、今朝御言葉をいただいて、確信を与えて下さったことを 感謝します。

今日一日も神様の命ある働きをすることを祈ります。