「恵みとまことがある」
10月30日のQTは、ダビデがアブシャロムの反乱によって逃亡する内容でした。
そこに、外国人であるガテ人イタイが王位を捨て逃亡するダビデと共に行きたい、という個所がでてきました。
19節「王はガテ人イタイに言った」どうして、あなたもわれわれといっしょに行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは外国人で、それに、あなたは自分の国からの亡命者なのだから。」
20節b「恵みとまことが、あなたとともにあるように」
21節b「王様がおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべは必ずそこにいます」
神様の恵みと真理は何か、そこに私も共に歩むことは何か、と黙想しました。そこで、示されたことは「数日前にいただいたある誘い」でした。以前にお世話になった方から、ある働きに招待を受けることがありました。それは、具体的な条件や人の目には「有利な」と思える内容でした。しかし、そこで私に示されたことは「神様の今までの導きと違う」ということでした。そこで、私はあいまいにせずに「辞退の旨」をお伝えました。しかし、その後に「私は計算に合わないことをしたような」が気がしたり、そこのホームページから建築物や雰囲気を見るようなことをしていました。はっきり言って心が揺れたわけです。
しかし、ガテ人のイタイが「神の人とどこに行くのかわからない」のに、共に行った様に、ダビデが再び若いときと同じように「荒野に出て行った」ように、神様と共に歩む、神様以外に頼る方がいない、歩みをしたように、自分にも同じことが示されました。ダビデにとって王位でなく、神様と共に歩むことがはるかに大切であったのです。
人の働きや組織に頼りたい、ということは「神様が共におられることに自信がない」ことなわけで、自分にとって、それらのものを捨てる時になりました。揺れた心や縛られたものから自由になるときになりました。たとえ、どこに行くのか、何をするのか、分からなくても、神様の導きを受ける人生は素晴らしいですね。安心です。今日も、主イエスのみなを讃美して生きます。
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