坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 8月 24, 2013

Actsフィナーレは宣教し続ける

使徒行伝28章(23-31)「そこで,彼らは日を定めて,さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た.彼は 朝から晩まで語り続た.神の国のことをあかしし, また,モ ― セ の律法と 預言者たちの 書によって, イエス のことについて彼らを說得しようとした.」
使徒行伝のフィナーレは唐突です、パウロがローマについて相変わらず伝道した、そしてイエスを伝え、教えた。その後の彼の人生は?書かれていません。その事は一番神様が伝えたい、ということでないからです。大事なことは何でしょうか?イエスの事を伝えたことです。それは、今も伝え続けられていることです。パウロは「朝から晩まで語り続けました」そのような情熱が私にあるでしょうか?そのように「おおぜいで」たずねてこられて福音を伝えるチャンスを生かして、伝道して、生きているでしょうか?まだまだだな、と思います。当時の中心であり、心臓部であり、盈虚力を持ったローマで伝道しました。私もこのLAで朝から晩までイエスを伝える情熱、伝道をしたい、大勢の人が尋ねてくるミニストリーをしたい、と思いました。神様の福音を伝えるためにローマへ苦難の中で来たパウロはその御心を行い、語ります。この語れたユダヤ人の中で、①イエスを信じたユダヤ人もいたし、②信じなかったユダヤ人もいました。そこで、パウロは27節「この 民の心は鈍くなり,その耳は遠く,その目はつぶっているからである. それは, 彼らがその目で見,その耳で聞き,その心で悟って,立ち返り,わたしにいやされることのないためである」28節「ですから, 承知しておいてください. 神のこの 救いは, 異邦人に 送られました. 彼らは, 耳を 傾けるでしょう. 」と宣言します、普通なら人間関係上、角が立つ、でないけど、言わないことです。なぜでしょう?それは、世界福音へ行く神様の心を宣言するためです。ACTSは世界宣教される、そこで、次世代の宣教師たち、クリスチャンたちがヨーロッパ、アジア、アメリカ、日本、韓国へ宣教し続けることで終わります私たちもACTSから宣教のバトンタッチを受けています。北米に日本人宣教に来て、2年半ほど、そこで使徒行伝のQTをするのに神様の恵みを感じます。思えば、神様に賛美と祈りの中でいただいた御言葉でした。LAで、北米にACTSのバトンを持って宣教していきます

ラベル:

火曜日, 8月 20, 2013

神様のリーダーは投げ出さない!


使徒行伝27章22節「しかし, 今,お勸めします.元氣を出しなさい.あなたがたのうち,いのちを失う者はひとりもありません.失われるのは船だけです. 23節「昨夜, 私の主で,私の仕えている神の御使いが,私の前に立って, 」24節「こう 言いました. 『恐れてはいけません. パウロ . あなたは必ずカイザルの前に立ちます. そして,神はあなたと同船している人々をみな, あなたにお与えになったのです. 』 25節「ですから, 皆さん.元氣を出しなさい.すべて私に告げられたとおりになると,私は神によって信じています.」使徒パウロの忠告を受け入れなかった人々は、船が進まず、さらにユーラクロンにあい、暴風によって船が進めず、積荷を捨て(自分の大事なものを投げ捨てて)、船具を捨て(自分で進むことを放棄したこと)食事(生きるの望みを置いて)もとりません。パウロにとってどんな思いだったでしょうか。しかし、パウロはこの状況ののなかで神様の声を聞き、人々を励まします。普通なら、私の助言を聞けばこのようなことにならなかった、とか。もはや彼らのせいでだめだ~とか思わないでしょうか?私ならそうです~しかし、彼は神様の声を聞き、「恐れるな!私が共にいる、そしてローマのカイザルの前に立つ」ことを宣言されます。それを人々に伝えて、食事を取り、元気をだせ!と励まします。目の前にある状況は未だに動いてません、具体的に何か動いているのでありません。しかし、信仰を持って動くのが、人々を諦めずに導くのが、勧めるのがリーダーです。そうでないと信仰でありませんし、面白くないでしょう。今日、投げ出さないリーダーに励ますリーダーになることを、歩んでいきます。主よ、恐れるな!という神様の言葉の上にたたせてください。

ラベル:

日曜日, 8月 18, 2013

どんな相手にも真摯に福音を語れ!

使徒行伝26章25節「するとパウロは次のように言った.「フェスト閣下、気は狂っておりません.私は,まじめな眞理のことばを話しています. 」
使徒パウロは、アグリッパ王と総督フェスとの前でイエスの福音を伝えた時に反応は①総督はフェスとは「博学が狂わせている」と(どう考えても、シンプルな福音しか語っていないのに博学のせいにするなんて、本当に日の顔色だけをみている、まじめに人生の問題にぶつかろうとしない)ことを感じます。②アグリップ王は、少しの言葉で「私をキリスト者にしようとする」と警戒し、気をつけます。しかし、少しは真摯な姿勢があります。そして、パウロは③相手がどんな反応であろうが、そして自分がどんな状態(無罪でありつつも、鎖につながれていようが)であろうが、イエスの福音を語り、真摯に福音を伝え続けようとします。果たして、私はいつも、どこでも、どんな相手にも真摯に福音を伝えようとしているでしょうか。この相手は難しいとか、パウロは言いませんでした。また、自分は監獄にいるから、とも言いませんでした。その結果、王に権威者に、そしてローマまで宣教することになったのです。今日、このみ言葉を持って行動したら祝福がありました。神様に栄光をささげます。

ラベル:

金曜日, 8月 16, 2013

天からの啓示を見たら

使徒行伝26;18「それは彼らの目を開いて, 暗やみから光に,サタンの支配から神に立ち返らせ,わたしを信じる信仰によって,彼らに罪の赦しを得させ, 聖なるものとされた人々の中にあって御國を受け継がせるためである. 』 使徒パウロはアグリッパ王たちの前で証します。それは、すごく正直な、ストレートな証でした。自分がイエス・キリストを迫害したものであったこと、そんな自分が天からの啓示によって「自分の罪に、自分の間違った方向への情熱」からまことの神様を迫害したことがわかったこと、そんな自分が救われて、イスラエルの民のために、異邦人のために救いを伝える人になったことを話します、果たして、私は、私たちは以前の自分の姿、罪ある自分の姿をも思う時に本当の謙遜さを持つのでないでしょうか。自分が苦難になう時に不平や不満を言える身分でないことを思うのでないでしょうか?そんな自分が聖なる者になって、神様の国を受け継ぐものになったことを思うなら、何が言えるでしょうか?賛美と喜びしかないのでないか、と確信します。私の感情は瞬間的に揺れます、しかし、闇から光の人生へ、神様の国を建てるもの、引き継ぐものになったことを感謝し、賛美して歩みます、神様の助けを得て、福音を証します

ラベル:

木曜日, 8月 15, 2013

夜も昼も熱心である理由

使徒行伝26;7-8「私たちの 十二部族は, 夜も昼 も熱心に神に仕えながら,その約束のものを 得たいと望んでおります.王よ.私は,この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです. 」今朝のQT箇所からの恵みは、①パウロがアグリッパ王に弁証をとしてイエスを証します。②夜も昼も熱心に神様に仕える、③約束のものを目指して生きる(神様がイエス・キリストを通して死者をよみがらせる、どんな過去があっても救われる)、です。私は昼も夜も熱心に主イエスに仕えているでしょうか?しかも、それが、目標のない、希望のない熱心でなくて、はっきりとして希望があるからこそ仕えているでしょうか?パウロは二年を待たされてアグリッパ王たちにか証をします。待たされたからこそ、3度目の証が出来ます。しかも、王様にです。考えたことがあるでしょうか?政治家、リーダー、社会的に影響のある人、芸能人などに証をしたことや証をすることを祈ったことがあるでしょうか?相手が聞く聞かないは別としてです。苦難を通して出なければ、時間をかけて出なければ、出来ない福音伝道もあります。今日、夜も昼も熱心に生きる神様の約束、希望を持って歩みます。

ラベル:

水曜日, 8月 14, 2013

神様の心を正確に読む人の祝福

使徒行伝25;25節「私としては,彼は死に当たることは何一つしていないと思います. しかし,彼自身が皇帝に上訴しましたので,彼をそちらに送ることに決めました」26節「ところが, 彼について, わが 君に 書き 送るべき 確かな 事がらが 一つもないのです. それで 皆さんの 前に,わけてもアグリッパ王よ,あなたの前に,彼を連れてまいりました.取り調べをしてみたら, 何か書き送るべきことが得られましょう.」今日の聖書箇所でやはり語られていることは「ユダヤ人のねたみ」からパウロは訴えられたこと、それは「無実である」ことです。しかし、総督フェスとは正しいことを知りつつも、無罪釈放しません。ユダヤ人の歓心を買うためです(世の中の歓心を買うためです、このようなことが私たちの中にないでしょうか?)もし、私がパウロなら、いらいらしたり、早く釈放されたい、もしくはローマへの証をしたい、 とか思わないかな?と思いました。しかし、そのようなことは聖書に書いていません。それは、一番大事なことでないからです、神様の語りたいことは他にあるからです。神様はこのような状況を通して、事件を通して、あなたはどのように、どんな霊的な目で事件を見ますか?状況を霊的に見れますか?そして、パウロのように福音を証しする場所、チャンスとして反応できますか?神様の心を読めますか?といわれる気がします。今日、神様の福音のチャンスの場所を見ていきます、主よ、私の目を開いてください。

ラベル:

土曜日, 8月 10, 2013

最も安全なところは主と共におられところ

使徒行伝23;29「その結果,彼が訴えられているのは, ユダヤ人の律法に関する問題のためで,死刑や投獄に当たる 罪はないことがわかりました. 」
今朝のQT箇所をリビングライフは、「最も安全なところは主と共おられところ」とつけていました。本当にその通りで、とても気に入りました、何よりも励まされました。私たちは苦難にあると、人間的な計算で動きます。しかし、神様の御心を行う人を主は守られます。神様の人生を歩む人にとって大事なのは結果でなくて、プロセスです。主が苦難の中にも共におられる、その安全さを味わうことが出来ます。いつから、私たちは結果だけで生きるようになったのでしょうか?本当は、人生を味わうことは大変な時も、困難な時も、まだ前が見えていないときも、もちろん、楽しいときもそうでないでしょうか?神様は言い訳もせずに、神様の事を証し続けるパウロの無罪(国、社会、法律)、を証明され、かえってユダヤ人たちの宗教戦争(怒り、妬みから来る殺人さえ)明らかにされます。そして、ローマ人を動かし、緊急の守りを与えられます、主のみなは強き砦、駆け込むものは守られる!主を賛美します

ラベル:

水曜日, 8月 07, 2013

今私がココにいる理由

使徒行伝23章11節「その 夜, 主が パウロ のそばに 立って, 「勇氣を 出しなさい. あなたは, エルサレム でわたしのことをあかししたように, ロ ― マ でもあかしをしなければならない. 」と 言われた」使徒パウロは千人隊長により、議会にたたされましたが、「いきなり打たれたり」不法な裁判にあいました。しかし、彼は恥じることのない完全な良心を持って証し続けました。打たれて「白い壁」と言ったら、大祭司であることを聞き、「指導者を悪くいっていはいけない」とあると書いてある、とすっとんきょうなくらいに簡単に認めます。正直です。彼らが間違っているのに、自分にもMISSがあると思えば認めます。神様はそのような状況のパウロに[勇気を出しなさい、私の証をエルサレムでしたように、ローマでもしないと行けない]と語られます、今朝、思いました。何故、パウロはこのような不法な裁判、そして苦しい状況、プレッシャーの中でもぶれずに、もういいや、と投げ出さずにいれたのか?それは、今何のためにここにいるのなか?神様の声を聞いたからです。だから投げださいのです。神様はパウロの宣教のたびに語られます。どれほど、大きな力でしょうか。今朝、TORRANCEにいる理由を、南加州で弟子を作っていくミニストリーをします。勇気を出して、今日を歩み続けます。

ラベル:

火曜日, 8月 06, 2013

あなたの頼っているものは何か?

使徒行伝22章22節「人々は,彼の話をここまで聞いていたが,このとき声を張りすると,上げて, 「こんな 男は, 地上から 除いてしまえ. 生かしておくべきではない. 」と 言った. 28節 千人隊長は, 「私はたくさんの 金を 出して, この 市民權を 買ったのだ. 」と 言った. そこで パウロ は, 「私は 生まれながらの 市民です. 」と 言った
天国の福音を語って使徒パウロに向かって、①群集たちは「わめきちらし」生かしておくべきでない、と言いました。これって、個人ならいえることでしょうか?一人でこのような行動を人の前で出来るでしょうか?人を殺すとか、着物を放り投げ、チリを撒き散らし、など。それは社会の中の群集に紛れ込むからできることです、責任の無い人生、行動をとっていることです。②そして、市民権を買って手に入れたローマの千人隊長です。彼はパウロがローマ市民権をもっていると知らない前は裁判もせずに、「むちで打とう」としました。騒動が起こった、それだけで自分の責任をとらずに、困ったことが起こったから、というだけで人のせいにしました。かえって一方のパウロです。彼は既に天国の福音を語りました。しかし、彼らは聞く耳を持たず、拒否することを決めていたのです。それは、自分の地上の生活、ポジションにだけ彼らが重きを置いたからです。そこに、彼らの人生を守るものがると勘違いしたのです、福音が語られたのに。群集に隠れていれば大丈夫と思ったのです。ローマ市民権を買ったから大丈夫、と思ったのです。今日パウロはローマ市民権に頼っていたのではありません。天国の市民であることに自分のアイデンティをもったからこそ、ローマ市民権者であることを語れたのです。私は、もしくは私たちは、何か目に見える部分で頼れる部分を探しやすいものです。しかし、これで安心と、目に見える部分(必要なものはありますが)にだけ頼るなら危ないものです。天国の価値観で今日私の価値観、教会の奉仕考えて生きます

ラベル:

火曜日, 7月 30, 2013

夜明けまで御言葉を語るか?!

徒行伝20章7節「週の初めの日に,私たちはパンを裂くために 集まった. そのとき パウロ は, 翌日出發することにしていたので,人々と語り合い,夜中まで語り続けた」11節「そして, また上がって行き,パンを裂いて食べてから,明け方まで長く話し合って,それから出發した. 」今朝のQT箇所は、トロアス(現在のトルコ)での交わりです。そこで、明日の出発のために「長く話し合い、そのために青年が落ちてしまった、そこでパウロが癒しをした」という箇所です。普通はそこに目が行きますが、おもったよりはるかに簡単に癒しの部分を書いています。今日私が思った部分は、その癒しの跡に「さらに上っていって聖餐式をし、交わりをして、明け方近くまで話し合った」ということです。普通そういう事件があれば、中止とか、解散になってもおかしくないでしょう。しかし、彼らの聖餐式、礼拝、交わり、聖書のみ言葉の交わりははるかに大事であり、しっかりされた、ということです。そちらが本質であった、といことです。また、この学びの熱さにも注目しました。「夜中まで」学びをした後に、「明け方まで」話し合ったのです、こんな熱い交わり、学びをしてどれほどでしょうか?今朝私の適用は、熱いFELLOWSHIP、学び、奉仕を作っていこう問うことです。そこまで、熱く、みなが加わる学び、FELLOWSHIPもっているでしょうか?教会の中で作っていこうと思います。主の臨在の中でなされる、主の創造される学び、FELLOWSHIPもてるように祈ります。

ラベル:

月曜日, 7月 22, 2013

創造主はチャンスを下さる

使徒行伝17章31節「なぜなら, 神は, お 立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため, 日を決めておられるからです. そして,その方を死者の中からよみがえらせることによって, このことの確證をすべての人にお与になったのです. 」
神様は創造主です、人の作られた偶像や人に支配されたり、侮られる方でありません。その方は、私たちに、住み時代、場所、人生を与え、決め、命、息、万物を与えられました。それは、求めれば神様を見出せる二様にチャンスを下さったのです(一般啓示)。感謝なことでないでしょうか?そして、それで終わることなくイエス・キリストを送ってください、十字架にかけて、そして3日目に復活されるようにされました(特別啓示)何と素晴らしいことないでしょうか!神様は私たちに、素晴らしいチャンスと愛のメッセージを下さっています。悔い改めのチャンスを下さっているのです。しかし、福音の反応は2つありました。①「またいつか聞くことに」②「付き従い、信仰に入ったもののいた」です。神様の下さるチャンスは愛です、人格的なものです。しかし、それはいつまでも無期限のものでありません、イエスを信じる時はいつでしょう?それは今です。主イエス・キリストが与えられたことを伝える日をいきます。

ラベル:

毎日燃える人と暇な人

使徒行伝17章17、2117節「そこでパウロは,会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ広場では每日そこに居合わせた人たちと論じた.」21節「アテネ人も,そこに住む外國人もみな,アテネ 人も, そこに 住む 外國人もみな, 何か 耳新しいことを 話したり, 聞いたりすることだけで, 日を 過ごしていた. パウロはとうとうギリシャのアテネに到着しました。そこの人たちは「 何か耳新しいことを話したり,聞いたりすることだけで,日を過ごしていた 」とあります、良い生活ですね、と一瞬思います。でも、パウロの生活はどうだったでしょうか?「会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ広場では每日そこに居合わせた人たちと論じた.」とあります、対照的な毎日の過ごし方です、イエス・キリストの福音に出会った人は「毎日」することがあります、忙しすぎます、燃えます。でも、福音に出会わない人生、真理に出会わない人生は、することがありません、それは人生をいきているといえません。私は「毎日」福音を伝えているでしょうか?私にとって「会堂」はどこでしょうか?「広場」はどこでしょうか?パウロは既に聖書を持っていたユダヤ人たちの会堂でイエスを伝えました。私も教会でイエスを伝えます。「広場」は聖書のBACK GROUNDあるかないか分からない場所です。出て行ってイエスを伝えます、キャンパスで、マーケットで、友人と、ハングル教室の中で伝えていきます。

ラベル:

日曜日, 7月 21, 2013

迫害されるほどイエスを伝えているか!?

使徒行伝17章2-3、11節「パウロ はいつもしているように,會堂にはいって 行って, 三つの 安息日にわたり, 聖書に基づいて彼らと論じた」 3節「そして, キリスト は 苦しみを受け, 死者の中からよみがえらなければならないことを說明し, また議論して,「私があなたがたに傳えているこのイエスこそ,キリスト なのです.」と言った.11節「ここの ユダヤ 人は, テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで, 非常に熱心にみことばを 聞き, はたしてそのとおりかどうかと每日聖書を 調べた.」
パウロは聖書に基づいてイエスの福音を伝えました。そこには救われる人もいました。 テサロニケでは、幾人かが分かって救われた、とあります。しかし、その中で迫害も起こり、避難することになります。そこで行ったペレやでも、聖書から教え、十字架にかかり復活されたのがイエスだと伝えます。ここでは、人々は非常に熱心に聴き、みずから毎日聖書を調べて救われた、とあります。しかし、ここでも迫害は妬みから起こります。今日心に留まったことは「聖書から教える」ことと「迫害が必ず起こる」ことです。それは福音を伝える時に必ず迫害もあり、「聖書からイエスを教える」時に、内部、同じ国民のユダヤ人から「いわれのない理由と拒否」からも迫害されることです。私は果たして迫害されるほどに、福音を伝えているでしょうか。また「聖書からイエスを伝えて」いるでしょうか。そのために拒否間のために、いわれのない迫害を受けるほど福音を伝えているでしょうか(迫害を受けたいではないですが)。北米でストレートな迫害は無いかもしれませんが、聖書からイエスを伝える時攻撃はあると思います。今日、イエスの事を聖書から伝えて生きます

ラベル:

金曜日, 7月 19, 2013

今日と言う日の恵みを逃すな!

使徒行伝16章33節「看守は,その夜,時を移さず,ふたりを引き 取り, その打ち傷を洗った.そして,そのあとですぐ,彼とその家の者全部がバプテスマを受けた.」パウロが福音を語った後で、看守と家族たちは「時を移さず」バプテスマを受けたとあります。普通考えれば、夜だから、とか牢獄だから、彼の立場は囚人だから、私は看守だから、とか職業的な、社会的な、人間的な立場を考えることがあります、しかし、彼らはそこに頼ったり、判断基準にすることがしませんでした。今朝の恵みは、タイミングを逃すな!です。今風に言えば、イエスを信じたけど、バプテスマ(洗礼)まで時間を置いてとか、役員の許可を得てとか(微妙?)聖書研究をしてからとか~と考えるかもしれません。でも、神様の下さる今日の恵みに、反応しないといけません。それは、今日と言う日は、2013年の7月何日は二度と来ないからです。2013年何月何日の礼拝を同じ気持ちで、同じ状態で受けれることは二度とありません。今、神様に与えられている恵みに、反応することは本当に大事だと思いました!31節「ふたりは,「主イエスを信じなさい.そうすれば,あなたもあなたの家族も救われます. 」と 言った.とあるように、神様に呼ばれたら、すぐに応答することが大事です。主イエスを信じなさい、と呼ばれたときに、「時を移さず」信じ、バプテスマを受けること大事です。主の恵みの声を聞いたら、今日、聖書の学びがあるよ、という時に、神様の恵みが注がれているのを感じたら、反応しないとすごく後に来るのか?もしかしたら、二度と来ないのです。今日の奉仕の中で、出会いの中で、主イエスの下さった恵みのチャンスに、勇気を持って、決断し、進んでいきます。主イエスの声に敏感でいさせてください。主だけに仕えれるように。他の何にも仕えないように祈ります。

ラベル:

木曜日, 7月 18, 2013

祈る人に、賛美する人に神様の事件が起こる

使徒行伝16章16節「私たちが祈り場に行く途中,占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った. 」24節「この命令を受けた看守は,ふたりを奧の牢に入れ,足に足かせを掛けた.」25節「眞夜中ごろ,パウロとシラスが神に祈りつつ贊美のっていると,ほかの囚人たちも聞き入っていた.」
今朝、QTをした時に「祈り場に~」というところが心に留まりました。パウロたちは日常的に祈っていたんだな、と思わされました。日常的に神様と会話したんだな、と思いました。そういえば、最初のピリピでの伝道もテアテラ市の紫布商人ルデヤに出会って最初のピリピ伝道、教会のメンバーに合いました。祈る人に神様の事件が、出会いが、奇跡が起こるんだなと思いました。今日の聖書箇所は、祈り場に行くパウロに悪霊につかれた女がついてきて、悪霊を追い出し、癒します。ところが、そのために逆恨みした主人のために鞭打たれ、牢獄に入れられます。そこで、パウロとシラスは賛美をしました。日常でない賛美です。苦痛、侮蔑、いわれのない苦難、怒ってもおかしくない時に賛美しました。それは周りの囚人に影響を与えました。そこで地震が起こり逃げ出しても当たり前の状況で、逃げ出さなかったのです。それは、看守に感動を与えました、この世の中でない、常識はずれの人生に震えを感じるほど、そして「自分から救いを求める」ほど、影響を与えました。福音を伝えるところにサタンの攻撃もあります。しかし、祈る人に、’賛美する人に奇跡が起こること、神様の事件が起こることを期待し、信じ今日一日をいきます。

ラベル:

火曜日, 7月 16, 2013

問題に福音を持って立ち向かえ!

使徒行伝15章22節「そこで 使徒たちと 長老たち,また,全教会もともに,彼らの中から人を選んで,パウロやバルナバ といっしょに アンテオケへ送ることを決議した.選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで,バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった.」
異邦人たちが救われたことをペテロが証しした後で、エルサレム教会のリーダー格であるヤコブが①ペテロを通しての異邦人たちの救い、②OT、預言者たちを通して異邦人の救いが神様の御心であること、③シンプルに(人道的なことですよね)異邦人たちが守るべき4つのルールを伝えることにしました。そして、ユダとシラスをバルナバとパウロにつけて⑤全教会の決議として伝えさせます。今朝、私の恵みは初代教会が正しく問題を扱い、個人的なことや、部分的なこと、地域的なことの扱いでなくて、全教会の決議として問題に正々堂々と立ち向かったことです。いうなれば、牧師先生だけが問題に立ち向かったのでなくて、熱心な人だけが立ち向かったのでなくて、全教会が問題に討議し、検討し、決議をしたのです。その結果、異邦人伝道、牧会のモデルとしてシリアのアンテオケ教会が建っていき、後にシラスたちも宣教に関わっていく伝道のパートーナーになったのです。主にある教会の決議は、組織的な関係に終わるのでなくて、後に、伝道、宣教に関わる関係になりました。今日、これから問題に立ち向かい、宣教していく教会を目指し、たてあげていきます。

ラベル:

日曜日, 7月 14, 2013

神様の御心だけを話せ!

使徒行伝14章26節、「そこから船でアンテオケに帰った.そこは,彼らがいま成 遂げた働きのために,以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった.」27節「そこに 着くと, 教会の人々を集め,神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと, 異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した.」
パウロたち一行は、無事に第一次宣教旅行を終えてシリアのアンテオケに帰ってきます。そこは、彼らが宣教師として祈りと断食を持って送り出されたところでした。彼らはアンテオケの教会の人々に宣教報告をします。それは、すごくシンプルなものでした。神様が異邦人に信仰の門を開けた、ということだけでした。使徒行伝を呼んでいてすごくシンプルで、人間的な感情や苦労を書いていないことに気がつきます。迫害にあっても、そこでの不満や不平を言うこともなく、福音のために前進し続けます。自分の話や感情が先でありません。そこには、純粋に神様になされたことだけが書かれています。神様のみわざだけを報告しています。果たして、私ならどうでしょうか?自分のことを先に語ったり、苦労を話して、慰めを求めたり、しないでしょうか?それが悪いとは言いません。しかし、純粋に神様のみわざ、心だけを話す姿勢があるのでしょうか?そのほうが、祝福なのです、栄光をささげるほうが恵み、祝福が神様に、人々にあるだけでなくて、自分にも一番来ます。今日、主イエスのことだけを、神様の心だけを話します。

ラベル:

金曜日, 7月 12, 2013

何のためにしているのか忘れるな!

使徒行伝14章15節「言った. 「皆さん. どうしてこんなことをするのですか. 私たちも 皆さんと 同じ 人間です. そして, あなたがたがこのようなむなしいことを 捨てて, 天と 地と 海とその 中にあるすべてのものをお 造りになった 生ける 神に 立ち 返るように, 福音を 宣べ 傳えている 者たちです. 」パウロたちがルステラで生まれつき足の不自由な人の足を癒した時に、彼らを偶像し、また英雄にしようとした時にパウロは宣言しました。私も人間です、と。そして、私は「虚しいことを捨てて、神に立ち返るように福音を伝えているものです」と。私たちは、福音を伝えつつも、自分が褒められること、評価されること、大きな誘惑があるのでないでしょうか?でも、それこそまさに自分が何のためにやっているのか?神様を伝え、主の栄光のために、自分は誰なのか?自分は福音を伝えるもの、それ以上もそれ以下もありません。果たして、私は何のためにしているのか分かっているでしょうか?自分は誰か分かっているのでしょうか?今日、主イエスの福音のために、栄光のために生きるものとして歩みます。アーメン、ハレルヤ!

ラベル:

木曜日, 7月 11, 2013

それでも、聖霊と喜びに満ちる理由

使徒行伝13章;45節「しかし, この群衆を見たユダヤ人たちは,ねたみに燃え,パウロの話に反対して,口ぎたなくののしった.」46節「そこで パウロ と バルナバ は, はっきりとこう 宣言した.「神のことばは,まずあなたがたに 語られなければならなかったのです. しかし, あなたがたはそれを拒んで,自分自身を 永遠のいのちにふさわしくない 者と 決めたのです. 見なさい.私たちは, これからは 異邦人のほうへ 向かいます. 」51節「ふたりは, 彼らに對して足のちりを拂い落として,イコニオムへ行った」52節「弟子たちは 喜びと 聖に 滿たされていた」
使徒パウロたちの宣教は町中の人々にうわさになり、救われる人が起こされます。しかし、彼らは同胞のユダヤ人たちから迫害されます。これはイエスの時も同じでした。彼らの嫉妬と妬み、そして口汚くののしる、普通、現在の日本人、私たちクリスチャンがこんな待遇を受けたらどうでしょうか?きっと夜も眠れない、痛みや悩み、苦痛でないでしょうか。しかし、使徒パウロたちは違いました、ユダヤ人が永遠の命に相応しくない態度をとっていることを明らかにしながら、異邦人への福音伝道が進むことを喜びました、またそれが神様の計画であったことをはっきり宣言しました。私たちにとって迫害や攻撃、非難が大事な福音を伝えるのに、足かせになったり、倒れたりすることがないでしょうか。初代教会のクリスチャンよりはるかに弱い私たちです。何故、初代教会のクリスチャンはそれでも、「喜びと聖霊に満たされた」のでしょうか。それは、神様の御心に従うこと、何よりも福音を伝えることを一番の喜びとしたからです。非難されること、攻撃されることに時間をとられると、神経を持っていかれると、一番大事な福音を伝えることが難しくなります、その時間が取れれていきます、サタンも攻撃してきます、今日、福音を伝えることを自分の神経、考え、時間の優先にしていきます。本質にこだわる喜びを持ちます。非難、攻撃を沈めていきます。主よ助けてください

ラベル:

火曜日, 7月 09, 2013

神様の救いの計画と涙!

使徒行伝13章15節「律法と預言者の朗読があって後,会堂の管理者たちが,彼らのところに 人をやってこう言わせた.「兄弟たち.あなたがたのうちどなたか, この 人たちのために奨励のことばがあったら,どうぞお 話しください」23節「神は,このダビデの子孫から,約束に 從って,イスラエルに救い主イエスをお送りになりました」
パウロたちは一行は、さらに宣教旅行を進めました。途中、同行者のメンバーが帰っていくこともありました。それでも、何事もないように簡単な報告で済ませて、さらに宣教旅行を続けます。そして、ピシデヤのアンテオケ(シリヤでないですよ!そこは彼らの派遣教会)で会堂でユダヤ人へ、改宗者たちの外国人たちへ旧約聖書の(律法と預言者)の朗読から、イエス・キリストを送られるまでの神様の救いの壮大な計画を語ります、解釈し、説明します(今日のQTはここまでです)。あなたのがたの求めている、待っているメシア、救い主がこの人ですよ、と伝えようとしています(今日はまだ話してません)、今朝のQTをしながら思ったのは、壮大な神様の計画の驚くと共に、その根底にある愛、涙を思いました。一牧師として、魂の奉仕をして祈る時に、どれほどの涙、苦労、喜びがあるか分かりません。神様の忍耐、愛に比べたらどうでしょうか?パウロもたちもここで言及しないけど、途中で離れて一行への痛みがあったはずです。それでも、宣教し続けました。また、私を育ててくれた宣教師や牧師先生たちも、苦労があったはずです。それは、神様の計画と涙その心を持った人の働きです。今日、神様の救いの計画と涙を持った歩みます。

ラベル: