毎日燃える人と暇な人
使徒行伝17章17、2117節「そこでパウロは,会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ広場では每日そこに居合わせた人たちと論じた.」21節「アテネ人も,そこに住む外國人もみな,アテネ 人も, そこに 住む 外國人もみな, 何か 耳新しいことを 話したり, 聞いたりすることだけで, 日を 過ごしていた. パウロはとうとうギリシャのアテネに到着しました。そこの人たちは「 何か耳新しいことを話したり,聞いたりすることだけで,日を過ごしていた 」とあります、良い生活ですね、と一瞬思います。でも、パウロの生活はどうだったでしょうか?「会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ広場では每日そこに居合わせた人たちと論じた.」とあります、対照的な毎日の過ごし方です、イエス・キリストの福音に出会った人は「毎日」することがあります、忙しすぎます、燃えます。でも、福音に出会わない人生、真理に出会わない人生は、することがありません、それは人生をいきているといえません。私は「毎日」福音を伝えているでしょうか?私にとって「会堂」はどこでしょうか?「広場」はどこでしょうか?パウロは既に聖書を持っていたユダヤ人たちの会堂でイエスを伝えました。私も教会でイエスを伝えます。「広場」は聖書のBACK GROUNDあるかないか分からない場所です。出て行ってイエスを伝えます、キャンパスで、マーケットで、友人と、ハングル教室の中で伝えていきます。
ラベル: 使徒行伝
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