坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 7月 21, 2013

迫害されるほどイエスを伝えているか!?

使徒行伝17章2-3、11節「パウロ はいつもしているように,會堂にはいって 行って, 三つの 安息日にわたり, 聖書に基づいて彼らと論じた」 3節「そして, キリスト は 苦しみを受け, 死者の中からよみがえらなければならないことを說明し, また議論して,「私があなたがたに傳えているこのイエスこそ,キリスト なのです.」と言った.11節「ここの ユダヤ 人は, テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで, 非常に熱心にみことばを 聞き, はたしてそのとおりかどうかと每日聖書を 調べた.」
パウロは聖書に基づいてイエスの福音を伝えました。そこには救われる人もいました。 テサロニケでは、幾人かが分かって救われた、とあります。しかし、その中で迫害も起こり、避難することになります。そこで行ったペレやでも、聖書から教え、十字架にかかり復活されたのがイエスだと伝えます。ここでは、人々は非常に熱心に聴き、みずから毎日聖書を調べて救われた、とあります。しかし、ここでも迫害は妬みから起こります。今日心に留まったことは「聖書から教える」ことと「迫害が必ず起こる」ことです。それは福音を伝える時に必ず迫害もあり、「聖書からイエスを教える」時に、内部、同じ国民のユダヤ人から「いわれのない理由と拒否」からも迫害されることです。私は果たして迫害されるほどに、福音を伝えているでしょうか。また「聖書からイエスを伝えて」いるでしょうか。そのために拒否間のために、いわれのない迫害を受けるほど福音を伝えているでしょうか(迫害を受けたいではないですが)。北米でストレートな迫害は無いかもしれませんが、聖書からイエスを伝える時攻撃はあると思います。今日、イエスの事を聖書から伝えて生きます

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