坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 7月 30, 2013

夜明けまで御言葉を語るか?!

徒行伝20章7節「週の初めの日に,私たちはパンを裂くために 集まった. そのとき パウロ は, 翌日出發することにしていたので,人々と語り合い,夜中まで語り続けた」11節「そして, また上がって行き,パンを裂いて食べてから,明け方まで長く話し合って,それから出發した. 」今朝のQT箇所は、トロアス(現在のトルコ)での交わりです。そこで、明日の出発のために「長く話し合い、そのために青年が落ちてしまった、そこでパウロが癒しをした」という箇所です。普通はそこに目が行きますが、おもったよりはるかに簡単に癒しの部分を書いています。今日私が思った部分は、その癒しの跡に「さらに上っていって聖餐式をし、交わりをして、明け方近くまで話し合った」ということです。普通そういう事件があれば、中止とか、解散になってもおかしくないでしょう。しかし、彼らの聖餐式、礼拝、交わり、聖書のみ言葉の交わりははるかに大事であり、しっかりされた、ということです。そちらが本質であった、といことです。また、この学びの熱さにも注目しました。「夜中まで」学びをした後に、「明け方まで」話し合ったのです、こんな熱い交わり、学びをしてどれほどでしょうか?今朝私の適用は、熱いFELLOWSHIP、学び、奉仕を作っていこう問うことです。そこまで、熱く、みなが加わる学び、FELLOWSHIPもっているでしょうか?教会の中で作っていこうと思います。主の臨在の中でなされる、主の創造される学び、FELLOWSHIPもてるように祈ります。

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