夜明けまで御言葉を語るか?!
徒行伝20章7節「週の初めの日に,私たちはパンを裂くために 集まった. そのとき パウロ は, 翌日出發することにしていたので,人々と語り合い,夜中まで語り 続けた」11節「そして, また上がって行き,パンを裂いて食べてから,明け方まで長く話し 合って,それから出發した. 」今朝のQT箇所は、トロアス(現在のトルコ)での交わりです。そ こで、明日の出発のために「長く話し合い、そのために青年が落ち てしまった、そこでパウロが癒しをした」という箇所です。普通は そこに目が行きますが、おもったよりはるかに簡単に癒しの部分を 書いています。今日私が思った部分は、その癒しの跡に「さらに上 っていって聖餐式をし、交わりをして、明け方近くまで話し合った 」ということです。普通そういう事件があれば、中止とか、解散に なってもおかしくないでしょう。しかし、彼らの聖餐式、礼拝、交 わり、聖書のみ言葉の交わりははるかに大事であり、しっかりされ た、ということです。そちらが本質であった、といことです。また 、この学びの熱さにも注目しました。「夜中まで」学びをした後に 、「明け方まで」話し合ったのです、こんな熱い交わり、学びをし てどれほどでしょうか?今朝私の適用は、熱いFELLOWSHI P、学び、奉仕を作っていこう問うことです。そこまで、熱く、み なが加わる学び、FELLOWSHIPもっているでしょうか?教 会の中で作っていこうと思います。主の臨在の中でなされる、主の 創造される学び、FELLOWSHIPもてるように祈ります。
ラベル: 使徒行伝
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