実を結ぶ人はどんなことがあっても神様とつながっている
創世記49:22-23、「ヨセフは実を結ぶ若枝」とあります、クリスチャンは実を結ぶ人です。ただし、神様とつながっていないと実を結ぶことができません。「垣根を越える」とあります、クリスチャンの人生は、実は限界のない人生です。しかし、ここで次のような御言葉があります。23節「弓を射るものは彼を激しく責め、彼を射て悩ました」つまり、クリスチャンだから、祝福の人だから攻撃がない、問題がない、ということではないのです。いや、大いにあることなのです。そのような時どうしたらいいのでしょうか?24節「しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい、これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による」神様の力しかない、ということです、私たちが元もなんだったと言うのでしょうか?罪びとです、イエスを裏切り、否定したものです、それが自分の力ですから大変なことになるのです。謙遜差を失うから、高慢になるのか?コンプレックスにさいなまされるのです。主イエスに頼る、自分のありのままを認めます。25節「あなたを助けよう、とされるあなたの父の神により、またあなたを祝福されようとする全能者によって、その祝福は上により天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福」とあります、私の神様は、「私を助けようとする」方です。主イエスに求めているでしょうか?祈っているでしょうか?「あなたを祝福されようとする方」によって全能者によって、神様の祝福によってのみ、勝利できるのです。責められても、疲れないのは、倒れないのは、主イエスの注がれることによるのです。伝道集会、5月の準備のために少しプレッシャーがありました。しかし、主の注ぎによって、矢を満たすことによって進みます。また、ヤコブの終末が迫っています。その時に彼は、祝福の中で息子たちを送りました、つらい、苦しいで終わる人生でなくて、人を祝福する、準備された人生を行きたい、と思います。神様の矢である恵み、祝福を祈りつつGETします。
ラベル: 創世記
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home