坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 4月 25, 2013

神様が私を用いるために私は準備しているか!?


創世記48;14「すると、イスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭の上におき、左手をマナセの頭の上においた、マナセが長子であるのに、彼は手を交差しておいたのである」イスラエルは、長子であるマナセでなくて、エフライムに右手を置きました。それは間違ったのでなくて、19節「分かっている、わが子よ、私には分かっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者になるであろう。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう」私たちは、果たして祝福を受ける時に「比較」しないでしょうか?どこで、誰と、何をするか大事になって、他の人比べてどうだろうか?という「比較」と言う苦い酒を飲むことになります。本当に大事なことは、私が神様に用いられるか、どうかが大事なことです。本当に大事なことは、祝福を受けるかどうかなのです。比較ではありません。また、それに続いて大事なことは、神様に用いられるために「いつ、どこでも、今用いられていないように感じても、」BESTを尽くして準備できているかどうか?なのです。私を用いられるのは神様の自由です、私の事を一番知っている神様は、一番ベストのポジションのところで私を用いられます。それを信じられるかどうか?いや、神様ご自身を信じているかどうか、?神様に愛されているのかどうか、?知っているのかどうかなのです。させられているする仕事や日常をいきるのかどうか?です。自らしていく仕事をしていくのかどうかです。神様は自由を与えてくださいました、それは、私たちを人格者として認めてくださっているからです。私は人格的にその大事なチャンスを大切に生きているのでしょうか。15節「それから、ヨセフを祝福していった、私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神、きょうこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」16節「すべてのわざわいから私を購われた御使い、この子供たちを祝福してくださいました。私の名が先祖アブラハム、イサクの名と共に彼らのうちに唱え続けられますように。また彼らの地のまなかで豊かに増えますように」このように、主の恵と守り、贖いを感謝し、告白し、悔い改め、祝福を次の人に伝えれるでしょうか?それは、主と共に生きる人生から来るのです、神様の祝福を体験した人が他の人を祝福できます。主に用いられる準備をしていきます。霊的なルーティン、従順を持って行きます。

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