私を追い詰める主イエスを賛美します
創世記43;2「彼らがエジプトから持ってきた穀物を食べ尽くしたとき、父は彼らに言った。また行って、私たちのために少し食糧を買ってきておくれ」
イスラエルと兄弟たちは、飢饉の中でエジプトからの食料を食べつくしてしまいました。ここで示されることは、飢饉がひどく、他に頼る人も、国も無く、エジプトに行くしかない状況に追い込まれたことです。もしも、飢饉が止まっていたら彼らはエジプトに行かなかったかもしれません。神様は「本当の問題に向かうように、真の問題にぶつかるように(出るべき人生の問題へ)追い込んでくださる」ことです。それは恵なのです!そこにぶつからなかったら、どうなるのでしょうか?罪の中で腐ってしまいます。人生の祝福を得ることも無く、ひき困った問題の中に引きずれてしまうのです。それは、’進歩しない、成長しない、変化しない、人生です。イエスに似ていかない人生です。イスラエルと兄弟たちは、本当の問題にぶつかります。それは、ヨセフを売ったこと、兄弟関係が壊れていること(未だに)、回復しない、隠された罪、告白しないことにありました、罪への責任、家族への責任を持っていないことにありました。ここで、ユダが自分が責任を取る、と出てきます。彼らも自分自身の息子の過ち、そして息子の嫁との関係の仲で、追い詰められて責任を取る男になったのでした。そして、ヤコブさえも家長としての権威、責任を回復し始めます。父としての責任、家長として正しく歩まない時に、家族が揺れます、影響が与えられます。彼のえこひいきは、どれほど、息子たちを苦しめ、傷つけたことでしょうか。どれほど、ゆがめた人間関係、家族を困らせたことでしょうか。シメオンを失いつつ、ベニヤミンを守っていた彼が決断します、一番大事な決断は主イエスの前に、出ることです。自分の罪や問題にぶつかることです。そこで、回復の道があります。主よ、私の家族にまことの問題へぶつかる祝福、修復がありますように。TORRANCE日系ジュビリー教会に、兄弟姉妹に問題の解決がありますように。主なる神様、全能の神様のの栄光がありますように!
ラベル: 創世記
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