坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 9月 12, 2010

量ることのできない栄光を失っていないか?

エレミヤ52;12-23
イスラエルの民が、偶像礼拝をして神様に反逆したときに「主の宮」の全ての器具が焼き払われて、失われました。そして、イスラエルの国が滅ぼされることになりました。しかし、その中で主の礼拝する場所が、焼く払われることで苦しかったのは、神様ご自身でなかったでしょうか?まことの神様の礼拝の場所が焼かれて、そのみなが栄光が汚されても、人間よりも、イスラエルの民よりも、クリスチャンよりも、そのまことの神様、真実で変わらない神様の栄光が汚される方が難しくなかったでしょうか?どれほど苦しい損失でしょうか?しかし、神様の前に罪を犯した人間のために、イスラエル、クリスチャンのために多くの損失を受けられたのです。わたしたちの人生にとって、神様の臨在の無い人生は、まさに大きな量ることのできない量の栄光の損失です。神様への祈りの生活、QT生活、霊的な生活のスケジュールづくりを再形成します

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