坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 4月 11, 2013

試練を下さる神様の心が分かったら

彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟の事で罰を受けているのだな」創世記42;21、「神は私たちにいったい何と言うことをされたのだろう」創世記42;28
今日のQTは、ヨセフが兄弟たちを試練に合わせたときの彼らの反応です。長い間、ヨセフが兄弟たちにはじめから自分の身の上を表さないでいたのは何故だろう?と思っていました。それは、まさに愛の心からしているテストなのです、また試練なのです。神さまはヨセフを通して兄弟たちをテストしました、それはまさに今彼らの心や状態がどのようであるのか?示すテストでした。それなしに、次の出会いに進むことは出来ませんでした。それともう一つ重要なのは、彼らに神様にであるようにする、神様の心を知るようにする、時間をかけての(これが大事です!!!本当に)試練なのです。夢を見て、その後に兄弟たちに奴隷に売られて、エジプトで働き、更にいわれの無い罪で監獄にいかせられて、そこからパロノ夢を解き明かし、総理にまでなったヨセフと信仰の差がありすぎました。ヨセフにとって試練だった一つ一つはそれを通されなければ、神様のゴール、夢に到達できませんでした。エジプトに売られて、ポテファルのもとで管理人をしました(それは、将来のエジプトの国管理人の準備でもありました)そこで、誠実にしないと次は無かったのです。主人の妻からあらぬ罪を擦り付けられました、監獄へ行きました。そこに行かなければ、パロの料理人、献酌官にあえませんでした。するとエジプトの国はおろか、世界の救いのために用いられなかったのです。そこでも、ヨセフは忠実に使えて、神様がどこでも、いつでも、誰といても、祝福される人であったことを周りは常に知りました。試練を下す神様の心は愛です、そして、試練の中にいる時に涙を流されて、共にしてくださいます。ヨセフは試練の中でも、純粋さを失いませんでした。これは重要なことです、普通はひねくれます、やけになります、しかし、彼は純粋に主を愛しました、遣えました、この間、ヨセフの兄弟たちは何をしていたでしょうか。ユダが自分の息子かわいさに(しかるべき息子だったのに)嫁のタマルを掘っておき、苦しめ、結局、思い悩んだ彼女は、しゅうとであるユダにより息子を得ます。ヨセフが試練の中にいながらも、きよく、純粋で、いたのに、兄弟たちとは大きな信仰の差、神様の心を知る差が出来てしまいます。ヨセフは兄弟たちに神様のテスト、試練を送ります。それは、神様の愛でした、もし、試練が無ければ、成長も変化もありません。この2年間、ブログをほとんど書けませんでした。QTはもちろんしていました。書けないのは本当に忙しかったからです。この試練の2年がなかったら、どうなったことか?と思いました。LAカウンティ(ロスアンゼル)で日本語教会をして開拓しての2年は神様の試練、愛のときであったことを思いました、感謝します!賛美します、何よりも試練を下さる神様の心を教えてくださり、ありがとうございます、あなたを愛します。

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