坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 4月 10, 2013


創世記42:9-10「ヨセフはかって見た夢を思い出して」ヨセフは、’兄弟たちがエジプトに来て食料を求めて、ヨセフと知らずにひざまずく、おがむシーンを見て「夢を思い出します」わずか17歳の時に見た夢、それが基金の7年目のどこかのことでしょうから、37歳を過ぎた時に成就したのです。ここで、私が心に留まったことは「ヨセフは夢を思い出した」こと、逆に兄弟たちは夢の成就はおろか、ヨセフとも思っていなかったのです。VISIONを持っている人は(神様の夢を見ている人)の成就を、神様の御心の計画を、状況を通して知ることが出来ます。逆に、VISIONの無い人は、いや罪を犯している、隠している人は、霊的な目で状況を見ること、判断することが出来ません。ヨセフは兄弟たちを「間者」といいました。それは、彼らの心、姿勢、信仰を確認、テストすることでした。それなしに再会は無かったのです。兄弟たちは「私たちは同じ一人の人の子で、正直者」で(11節)、と言います。しかし、兄弟たちは家族の事を聞かれて「弟のうちの一人はいなくなった」とまったく正直者でないことを言います。本当の正直ものなら、どうでしょうか?このエジプトの総理大臣の前に正直に「弟」を売りました、と言えるのでないでしょうか。言わないといけないの無いでしょうか?罪を隠している人、秘密を持っている人、その人には神様のビジョン、働き、計画が目の前にある状況を通してなされていることをみることが、できません。ヨセフは兄弟たちの真実な心、奥底を見るためにしたくないテストをすることになります。神様を怖れる人は真の正直なものになります。それは、純粋に神様のビジョン、夢を、目の前の現状から、成就を見る人になります。ヨセフは最後まで、純粋さを失いませんでした。今日、主イエスと共に純潔な人生を歩みます。

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